最後のフロンティアの運命
カーナからペンチにかけての一帯は、インドの四大トラ生息地の1つである。しかし、国家野生生物審議会(the National Board for Wildlife)、国家トラ保護機関(National Tiger Conservation Authority)、国立野生動物研究所(Wildlife Institute of India)、最高裁中央特別委員会(Supreme Court's Central Empowered Committee)などの反対にもかかわらず、トラが生き残る可能性のほとんどを一本の幹線道路がまさしく断ち切ることになるかもしれないのだ。
伐採された木々や幹線道路のことはひとまず置いておこう。これらは不条理劇の小道具に過ぎないからだ。だが、この劇のクライマックスでは、開発と自然とのきわどい均衡が将来どちらに傾きそうかが暗示されることになる。
この物語は古の地ゴンドワナの中心部で展開される。そこは、若き船長ジェームズ・フォーサイスが地質学者の科学的好奇心から、インド中央部のトラの棲む鬱蒼とした危険な森の探検を始めた19世紀中頃まで、昔の大英帝国の地図に「暗く神秘的な空地」と記されていたところだ。
それから1世紀半の間に、ゴンド族の住むこの地は大きく変化した。民主的独立国たるインドの開発と森林破壊の中で生き残った緑豊かな地域を今、鉄道や道路が縦横に走っている。それでも、強靭に生き残った森は、網目状に入り組んだ国立公園や自然保護区としてインドの有数なグリーン地帯を形づくっている。1991年、このグリーンベルトの最も著名な政治指導者の一人であるカマル・ナート(Kamal Nath)氏が折しもインドの環境大臣に就任した。
この20年間連続して、チンドワラ県(Chhindwara)出身の国会議員が道路交通・高速道路省の所轄大臣の地位に就いている。現在、インド高速道路局(the National Highways Authority of India:)は、国内で最も優秀な専門家らの一致した見識に逆らって、ナート氏の本拠地に幹線道路を伸ばそうとしている。インドに残存する最も素晴らしい最後の森を切り開き、分断しようとしているのだ。
相互関係
国家トラ保護機関(NTCA)と国立野生動物研究所(Wildlife Institute of India : WII)によると、カーナとペンチのトラ保護区を繋ぐ森林地域は、2008年現在、インドに4箇所あるトラにとってもっとも可能性を秘めた生息地の1つである(他の3箇所は、西ガーツ山地(Western Ghats)、コーベット(Corbett)、カジランガ(Kaziranga)にある)。1万6千平方キロのこの地域には、2個体群に属する計141頭のトラが生息している。ここはまた、インドで絶滅が最も危惧されるガウル(野生のウシ科動物)やドール(野生のイヌ科動物)などの生息地でもある。
森林が連結していることによって動物の移動や遺伝子の流動が可能になり、野生生物の優れた生息地になっているのである。この森林回廊(コリドー)が失われた場合、孤立した保護区内のトラの小個体群は局所的な絶滅の危機にさらされる。短期間のあいだに密猟によって、あるいは世代を重ねるあいだに遺伝子が劣化するためである。サリスカ野生生物保護区がその最たる例である。
カーナとペンチ地域は、互いに良い具合に接近していることで生息地として機能している。ペンチのトラ個体数は約30頭で、孤立すれば存続は不可能だ。またペンチ・トラ保護区の面積(411平方キロ)それ自体が、生存可能な生息地としては不十分である。国家トラ保護機関によれば、トラ個体群は80~100頭未満では存続できず、またこの程度の個体群には800~1000平方キロ以上の生息地が必要であるという。カーナ(917平方キロ、トラ89頭)との繋がりがペンチのトラ個体群を存続させる鍵であることは疑いもない。この地域の他の大型動物の個体群に対しても同じことが言える。
経緯
ナグプール―ジャバルプール間の道路、すなわち国道7号線の約9 km区間が、ペンチ・トラ保護区の周辺を通っている。この保護区は、マディア・プラデシュ州政府が野生生物保護法に基づきトラの中核重要生息地と定めたところである。また、ペンチの緩衝地帯として役立ち、カーナへトラが回廊(コリドー)として利用している森をいくつも有する南セオニ森林地区の一帯を、同じ国道の別の47 km区間が通り抜けている。
黄金の四角形プロジェクト(the Golden Quadrilateral project)の一環として、高速道路局は2006年にこの国道7号線の2車線道路を4車線の幹線道路に広げることを決定した。マディア・プラデシュ州政府側はこの申し出を許可し、承認を得るために中央政府に提出した。このプロジェクトは、トラ保護区への影響と森林地の使用の双方に関わる事柄であるため、国家野生生物保護審議会(NBWL)と森林諮問委員会(Forest Advisory Committee:FAC)の承認が必要であった。国家野生生物保護審議会は2008年9月に高速道路局の計画を却下した。森林諮問委員会は、非政府組織のインド野生生物トラスト(Wildlife Trust of India: WTI)が既に最高裁中央特別委員会(the Central Empowered Committee : CEC)に嘆願書を提出していたため、意見を保留した。最高裁中央特別委員会は野生生物及び林業に関する専門事項について最高裁に助言を与えるための委員会で、2003年に最高裁によって設立された。
木の伐採と外界の影響を受けやすい地域での建設作業の中止を求めたWTIの嘆願書では次のように述べられている。「ペンチ・トラ保護区、南セオニ森林地区およびナグプール地区の森林地の利用は、チンドワラとセオニを経由する迂回ルートを用いることによって避けることが可能である。この迂回ルートは既存のものに比べ55パーセントほど長くなるが、それでも、この様に極めて重要な生息地を守るためには、この迂回ルートを選ばなければならない。」
最高裁中央特別委員会はこの件を最高裁に提起し、高速道路局側は森の上に9 kmの高架道路を建設するか、あるいは野生動物の移動のためのアンダーパス(動物横断のための道路下の通路)を2~3箇所建設することを提案した。
2008年11月、国家トラ保護機関(NTCA)委員長のラジェシュ・ゴパール(Rajesh Gopal)博士が最高裁中央特別委員会の招聘により綿密な現地調査を実施し、その報告書において、申請された道路拡幅計画がなぜ「トラ生息地に不可逆的な被害を与え」、「いかなることがあっても工事は実施されるべきではない」のか、その理由を説明した。報告書では次のように述べられている。「いかなる保護対策も、当該生息地を現在の状況にまで戻すことはできない。野生生物に対する保護対策や非遮蔽構造の多くは、海外でよく見られる小形動物用の実施例に基づいて高速道路局によって提案されたものであり、トラやその餌となる大型動物に対しては効果がない可能性がある。迂回ルートを使えば極めて貴重な生息地を守ることになる」。
2009年3月に最高裁中央特別委員会は自ら現地を訪れ、ゴパール博士の見解を支持し、その報告書で次のように述べた。「最高裁中央特別委員会は熟慮の結果、申請されたプロジェクトは我が国で最も重要かつ必要とされる野生生物の生息地の1つに回復不能な被害を与えるものであると考える。1万6千平方キロの面積を有するこの生息地は、最後の、恐らくは唯一の広大な野生生物の生息地である。この様な生息地に対しては分断や破壊を認めるのではなく、一層の強化と保護を行わなければならない。本プロジェクトによる生態学的損失は甚大であり、いかなる緩和措置もこれを補うには不適切である」。
最高裁中央特別委員会はさらに2009年5月に会議を開き、高速道路局、マディア・プラデシュ州森林局、国立野生動物研究所、WTIの代表者や多くの野生生物専門家から意見を聞いた。専門家は全員、異議無く無条件に、4車線の道路建設が破壊的な結果をもたらすという意見で一致した。
最高裁中央特別委員会は、「当該地域はインドで最も重要な野生生物生息地域の1つであり、何としてもここを保全し保護する必要がある。専門家の見解は、国道の路線設定を再考し、その結果生じる追加費用や距離の延長を制約要素にしてはならないということが絶対に必要だというものである」と、指摘した。
予想外の展開
ここまでは、事態は単純明快であるように見える。しかし、1月15日に本件が最高裁の口頭弁論(裁判手続き)にかけられる数日前になって、「裁判所の友(アミカス・クリエ)」(裁判の当事者ではないし、代理人でもない第三者が事件の処理に有用な資料を提出して裁判所を補助する制度)であるハリシュ・サルベ氏が意見書において、国道拡幅工事は高速道路局が言うように2、3箇所のアンダーパスを設置することで許可できることを示唆した。
この「裁判の友」の発言が最高裁中央特別委員会の報告とどれだけ食い違うものであるかを考察しよう。
●『高速道路局は代替案を既に示しており、これについては州の野生生物保護連盟および国家野生生物審議会の承認を得ていると高速道路局は主張している。この拡幅工事の構想は、道路地にアンダーパスを建設し、9 kmの道路の全長に柵囲いをするというものだ。』
国家野生生物審議会は2008年9月18日に、これらの案件を却下しているため、上述の内容は事実に反する。
●『さまざまな森林関係当局との詳細な協議の後、13のアンダーパスを建設すること、2.5メートルの金網塀は植物でカムフラージュすること、道路用地は30メートルに制限すること、一時的な迂回路に使用される森林地は“元の状態に戻す”ことなどが合意されたと高速道路局は主張している。』
本件に関わる森林と野生生物関係当局は、主に国家野生生物審議会、森林諮問委員会、国家トラ保護機関、国立野生動物研究所の4団体であるが、このなかで上述案のいずれかに同意したところは全くなかった。では、“さまざまな森林関係当局”とは一体誰のことなのか。
●サルベ氏の意見書ではさらに、国道7号線の森林地域の交通圧力を低減するために、利用可能な別の路線設定と開発についても高速道路局に指示すべきであると述べられている。つまり、サルベ氏は当該地域のすべての主要道路建設に着手するよう裁判所に進言しているのである。高速道路局が実際に路線設定の改善を指示されるというのであれば、何故、影響が懸念される問題の道路をわざわざ拡幅するのだろうか。あるいは、マディア・プラデシュ州の政界での噂が信用できるとすれば、カマル・ナート氏に彼の故郷で、できる限り長距離の道路開発をさせようということなのか。
●サルベ氏は最後に、高速道路局の主張をすべて並べ立てたうえで、『ペンチ国立公園にある程度の損壊が生じることは避けがたい』ため、最高裁判所が高速道路局に対して『埋め合わせの善後策』として50クロー(10億7500万円 1ルピー=2.05円2・18現在)の供託金を出すように指示することを提言して、はばかりもなく道路建設の承認印を押しているのである。
最高裁中央特別委員会が報告書を提出した当時、委員長を務めていたサンジブ・チャダ氏は、「最高裁中央特別委員会の報告は裁判所に向けた正確で専門的な助言です。「裁判の友」の意見書は、わが国で最も重要なトラ生息地の保全に関する最高裁中央特別委員会の懸念を反映していません」と語った。同氏は2009年9月に最高裁中央特別委員会の任期が終了している。
最高裁弁護士であるサンジャ・ウパジャヤ氏は「法的には、公平な判決が下されるように裁判所に助言する限りにおいては、「裁判の友」が別の見解を持つことは差し支えありません。しかし、最高裁中央特別委員会という「専門機関」は専門事項に関して裁判所に助言するために創設されたものですから、「裁判の友」は通常、逆の見解を持つべきではないのです」と言う。
サルベ氏は「国家野生生物審議会の承認に関して間違っていた」ことを認める一方、意見書の「全責任」は自分にあるとしている。氏はOpen誌上で次のように述べている。「法の定めるいかなる権限も私の提言を抑止できません。最高裁の認可は、国家野生生物審議会の認可に追加されるもので、取って代わるものではないことは明らかです。ですから、最終決定権は常に国家野生生物審議会にあります。最高裁の認可はあらゆる認可に追加されるもので、それらの代わりにはなりません。」
ウパジャヤ氏は次のように反論する。「博学な「裁判の友」にお言葉を返すようですが、最終決定者は最高裁判所であり国家野生生物審議会ではありません。国家野生生物審議会は野生生物保護法(Wildlife Protection Act)に基づく最高の国家機関であり、この法律の文面と精神に則って仕事をしなければなりません。最高裁判所は、国家野生生物審議会の見解が法律に従っていないと判断した場合には、異なる見解を示す権限を全面的に持っています。」さらに付け加えると、最高裁で認可されたプロジェクトがその後国家野生生物審議会によって認可を取り消された例はひとつもない。
サルベ氏も、自分の意見書は最高裁中央特別委員会の助言を反映する必要はないと主張する。「私の意見書は絶対に議論を薄めるものではありません。最高裁中央特別委員会の助言に対し高速道路局が異議を唱えているところですし、裁判所がその件について私の見解を求めました。道路建設は開発の必要性にちょうど見合うもので、誰もが納得できるものと私は感じたのです。」
しかし、全員が一致するところは逆であった。「最高裁中央特別委員会の報告は、わが国の最も優れた専門家による一連の協議と現地調査の結果です。その提言は最終的な専門的見解であり、拘束力があるはずです」と、WTIのアショク・クマール氏は言う。最高裁上級弁護士のラジ・パンジワニ氏も同意見で、「国家野生生物審議会、国家トラ保護機関、国立野生動物研究所、最高裁中央特別委員会はいずれも本プロジェクトを却下しました。たとえ「裁判の友」が異なる見解を示そうとも、専門機関の意見が優先されるべきです」と語った。
信念を貫く
最高裁判所は環境森林省に意見を求めており、次回の聴聞会は1月21日の予定である。トラに関する著名な自然科学者のウラス・カランス博士は、「本件は同様の何百という事例に影響を与えます。高速道路局は基本姿勢が間違っています。これらの道路は、土地利用形態が異なっていた何世紀も前に造られたもので、現在は、インドに残された数少ない森林地を保護する必要があるときは常に、新しい路線設定を行わなければなりません」と述べている。
本件は開発の必要性よりも生態学的保護を必ず優先させなければならない例外的な事例の1つであると、最高裁中央特別委員会がはっきり言い切ったことは驚くにはあたらない。
アショク・クマール氏はこう述べている。「私は、司法が環境という大義を支持したという非の打ちどころのない記録が残されることを期待します。わが国の裁判所は自然保護のために大いに貢献してきました。私は裁判所を信じています。」
(以下の4機関による)迂回路建設に関する合意
本合意は、代替路線設定および既存道路の使用制限を目的とするものである。
いずれの組織も、NHALのアンダーパス(道路下通路)には同意しない。
国家トラ保護機関(NTCA)
チンドワラを経由する迂回路であれば、ナグプル―セオニ間の貴重なトラの生息地を守ることができる。いかなる保護対策を講じてもこの生息地を現在の状態まで回復させることはできないであろう。保護対策に当てる予定の費用は、提案する迂回路が70 kmほど長くなるにせよ、これを4車線の国道にするために有効に使うことができる。
最高裁中央特別委員会(CEC)
迂回路線は、距離が伸び費用がかさむとしても実行可能な路線である。同時に、既存道路の車両の通行は、特に夕暮れから夜明けまでの時間帯に厳しく制限することとし、速度制限を続ける。重車両の通行は日中でも許可しない。地域住民や政府関係者の車両に対しては特別規定を設ける。以上が実行されなければ、チンドワラ経由の迂回路線は意味がない―それどころか逆効果を招きかねない。
国立野生動物研究所(WII)
国道7号線(NH7)のペンチにおよぼす影響に関する研究記録によると、毎日平均1頭の動物が交通事故で死亡している。また、トラまたはガウルがアンダーパスを移動するという証拠は全くない。さらに、既存の2車線道路の両側で、生物への圧力(悪影響)(biotic pressure)が森の内側1 kmのところまで及んでいることも明らかになった。
森林諮問委員会(FAC)
幹線道路の改修工事が何千キロも行われる場合には、重要な森や野生生物の生息地を分断しないように、古い路線設定に忠実に従うことなく、代替路線を提案する必要がある。
(翻訳協力 松崎由美子 蔦村的子)
【JTEFのコメント】
日本では自然保護のための訴訟で、裁判所が「環境の大義」のために英断を下すという例はほとんどありません。アショク・クマール氏が言うように、インドのすばらしい英断に期待したいと思います。忘れてはならないのは、この場所がトラ全体の未来への存続のカギとなる生息地の1つだということです。それほど重大な事件なのです。