「野生生物保全」のめざすもの
真の生物多様性保全=進化プロセスの確保
野生生物は,生物間および生物・非生物間の相互関係が展開し,進化を遂げる.この進化のプロセスにおいて,野生生物は,その形態も,行動も,他の種や環境との関係を含んだ暮らしも,互いに異なった個性をもつものに変わりあるいは分岐し,全体的に多様化していく.その結果として,野生生物は上記のあらゆるレベルにおいて,それぞれ他と異なった存在となる.
「生物の多様性に関する条約」(1992年成立。以下「生物多様性条約」という)は,進化による野生生物の多様化の結果を,「生物の多様性」として次のように定義している.
「『生物の多様性』とは,すべての生物(陸上生態系,海洋その他の水界生態系,これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない.)の間の変異性をいうものとし,種内の多様性,種間の多様性及び生態系の多様性を含む.」
生物多様性を保全することは,今ある種類を固定的に保存するということではない.もともと種や群集は長い時間スケールで見ると不安定で動的な実体であるため,自然な進化のプロセスが営みつづけられるよう保障することが必要である.野生生物種の保全は,この意味での生物多様性の保全をめざすものでなければならない.
20世紀の終わりになって社会的に認知された地球温暖化は,野生生物の保全が,「生物多様性の保全=進化プロセスの確保」を究極のゴールとすべきことをより強く意識させることとなった.急激な地球温暖化は,野生生物の生息域をきわめて早く変化させると予測される.何十万年何百万年という時間的スケールで進化してきた野生生物が,その変化に応じて分布域を拡大縮小したり,あるいは移動させることができるかどうかが問題となる.それぞれの野生生物種の本来的な移動能力はもちろんだが,移動を阻害する人為的障害の影響も大きい.特に陸域では人間による土地利用と生息地がせめぎ合っており,生息地は島のように孤立しつつある.そこから踏み出して他の生息地に移動することが困難な状況下では,分布の変化を保証することはできない.従来型の措置、たとえば隔離された小さな保護区におけるゾーニング規制(一定の区域内で、開発など一定の人間活動を規制すること)や,ある区域から失われてしまった野生生物をその区域へ再導入することに莫大な費用をかけるだけでは,まったく意味のない結果に終わることもありうる.
進化プロセスを確保していくためには、現在の生息地を保護しつつ、気候変動による野生生物の分布の変化も視野に、潜在的な生息地間の移動を可能な限り確保できるようにしなければならない。そのためには、世界中の国々が、「袋小路ばかり作り出す」土地利用政策を「生物多様性の保全=進化プロセスの確保」の観点から見直す必要がある。