野生生物保全についての考え方

野生生物保全に対する疑問

経済価値のある野生生物の利用


1 乱獲の歯止めとしての「持続可能な利用」

「『保全』一辺倒になると、野生生物を経済資源として『利用』できなくなるのではないか。」 このような疑問をよく耳にします。
 私たちは食料をはじめとする衣食住のため大量に様々な野生生物を利用しています。それが人類にとっての生物多様性の価値のひとつであることは疑いありません(近年、このような恩恵を「生態系サービス」のひとつである「供給サービス」と呼ぶことがあります)。
 しかし、20世紀の前半には乱獲によって種の絶滅や生態系のかく乱を引き起こされることが認識されるようになりました。そこで、「動物種は、それが増加するよりも高い速度で破壊されてはならない」という"Sustainable use"=「持続可能な利用」概念が提唱されました。ここにいう「持続(可能)性」の有無は、野生生物の増加速度と利用の程度の比較で判断されることになります。


2 利用推進のための「持続可能な利用」

 ところが、近年、野生生物の商業利用を推進する産業界(水産業、象牙産業、野生動物ペット産業など)が「持続可能な利用」を声高に主張するようになりました。その内容をみると、そこで言われている「持続可能な利用」はもともとの意味や使われ方とは異なっていることがわかります。
 まず、「これ以上の利用は許されない」という「限界線」を示す概念が、むしろ「野生生物は、持続可能な範囲までは利用されるべき」根拠として用いられるようになったことです。元来の「持続可能な利用」は、過剰な利用を持続可能なレベルに落とすことと、利用を断念することの両方を含みます。「持続可能なら捕って当然」という論理が直ちに導き出されることはありません。ところが、歯止めの根拠が、いつの間にか産業界による利用推進の根拠に仕立てられるようになったのです。


3 「対価還元型持続可能な利用」

 「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(略称:CITES ワシントン条約ともいわれる)は、商業目的の国際取引が、乱獲による種の絶滅を引き起こしているとの認識のもと、1973年に成立しました。CITESでは、絶滅危惧種の国際取引について、種を指定し、その商業取引を禁止したり、許認可にかからせる仕組みとなっています。そこで、条約の締約国会議では、ある種の国際取引を禁止するのが是か非かをめぐって激しい論争が行われることがあります。その際、取引を禁止するよりも、「持続可能な利用」を行った方がかえって保全にプラスにはたらくという主張が1980年代後半に盛んに主張されるようになりました。
 ここにいう「持続可能な利用」はこれまでの用語法とは異なっており、「野生生物は自らを売って、保全してもらうための費用を支払わなければならない」ということを意味しています。野生生物から得られた収益を地域住民の福祉向上や保護区管理の費用に還元すれば、野生生物はお金になるということで住民の保全に対する理解と協力が生み出される、逆に、野生生物がそのような収益を生み出さないならば、畑を荒らす動物は殺され、生息地は耕作地に変えられてしまうという論法です。
 なお、この考え方は、対象とする野生生物を切り売りしてその収益を保全にもあてるので、外部資金がいらない、その意味で持続的だという意味を含んでいます。
以上のような考え方を、私は「対価還元型持続可能な利用」と呼んでいます。よくとりあげられる具体例が、アフリカのジンバブエにおけるCAMPFIREと呼ばれるプロジェクトです。ジンバブエのCAMPFIREは、野生動物を地域で管理し、欧米人のスポーツ・ハンター誘致などにより、そこから得られる収入を地域コミュニティーに還元する(学校、公民館を建てる、住民に現金を配当する)という、住民の自立的プロジェクトとして1990年代に本格的に始まりました。
 CAMPFIREが特に脚光を浴びたのは、このプログラムの存在が象牙取引を再開するための「道具」に使われたためです。1997年のワシントン条約COP10で、ジンバブエのアフリカゾウを附属書Ⅰから附属書Ⅱに格下げし、日本への象牙輸出(1回限り)が認められた際、象牙取引の利益がゾウの保全と地域コミュニティーに還元されるという条件が付けられていました。「ジンバブエにはCAMPFIREがあり、象牙取引の収益はきちんと管理され、貧しい地域に還元される。だから、象牙取引を認めるべきだ」という主張が展開されたのです。


4 象牙取引と「対価還元型持続可能な利用」

 しかし、ゾウという動物を考え、また地域の人々の目線に立ったとき、対価還元型持続可能な利用が本当に野生生物保全の手段となるのでしょうか。
ゾウのメスは15歳くらいから繁殖をするようになり、妊娠期間はおよそ22ヵ月です。生まれた後も子ゾウは5、6年の間、母ゾウの母乳を必要とします。自然な環境の下では4、5年に1頭程度の割合でしか個体数は増えません。このような「生産性の悪い」野生生物を対象に、それが消費されることによって得られる収益頼みで保全の動機づけを生み出すことができるでしょうか。地域住民の福祉向上を果たす為には、地域のゾウを採り尽くしてもっと利殖率の高い事業に投資した方がよほど効率的です。「ゾウの価値は象牙の代金に等しい」と説得された人々に、ゾウが増えるまでじっと我慢して収穫を待てと強いることができるでしょうか。繁殖率の高い魚類についてさえ、日本の沿岸漁業は乱獲の歴史だったのです。
 野生生物はいったん種が失われれば,復元は不可能です.この観点からすると,「野生生物は自らを売って、保全の費用を支払わなければならない」という考え方には非常に危険な面があります。


5 地域主導型保全プロジェクトのあり方という観点から見た「対価還元型持続可能な利用」

 たとえば象牙の国際取引によって得られた収益を途上国の片隅に届けようとすると、商社、アフリカの政治家、官僚(中央政府、地方政府、区)、集落の有力者、様々な人々が介在することになります。アフリカでは汚職の問題が深刻化していることも含め、どれだけの収益が地域の人々の手に届くでしょうか。そしてそのことは誰が確認・保証するのでしょうか。
仮にいくらかのお金が届いたとして、地域の人々は「だから自分たちでゾウを保全しよう」と思うでしょうか。「結局、一番得をしているのは自分たちではない」と思ったとき、既に「ゾウの価値は象牙の代金に等しい」と思い込まされた人々はどのような行動に出るでしょうか。商業取引で得られた収益が、結局のところ地域の人々による密猟を取り締まる費用に使われるという皮肉な事態になりかねないのではないでしょうか。
 地域主導型の保全プロジェクトは、一般論として、地域開発のあり方としても、また自然保護のあり方としても大きな可能性を秘めています。そこで重要だと思われるのは、地域の人々が、自分たちの行動の意味と成果への結びつきを実感できるような形で、平等に参加できることです。外部からの支援に主導されたり、搾取されたり、逆に依存しきるようでは、決して成果は出ないでしょう。
 地域主導型の保全プロジェクトの中で、野生生物はどのように位置づけられるべきでしょうか。基本は、地域の生態系の要素として、つまり地域の生活を将来にわたって保障する基盤として位置づけられるべきだと思います。資源として利用する場合も、商業目的で生態系から収奪することは可能な限り避けられるべきです。その意味で、勧告資源としての野生生物利用は大きな可能性を持っています。ただし、勧告客のアクセスを確保することや、過剰な入域をコントロールする仕組み作りなどの課題に取り組んでいかなければなりません。


(坂元雅行)


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