野生生物保全についての考え方

なぜ野生生物を保全するのか?

人類のために

 人類にとっての「生物多様性」の価値ははかりしれません。近年、その価値の内容は、「生態系サービス」とよばれるようになりました。以下の表は、国連環境計画(UNEP)による区分に基づいて、環境省が様々な生態系サービスを整理したものです。

生態系サービスの区分と日本における例
ミレニアム生態系評価が挙げるサービス わが国におけるサービスの例 サービスを供給する主な生態系
A.供給サービス 食糧

農作物

コメ、野菜、果樹等の栽培

農地生態系

家畜

肉牛・乳牛・豚・鶏等の飼育

農地生態系

漁獲

河川・湖沼や海での魚類、貝類などの漁獲

陸水生態系、沿岸・海洋生態系

水産養殖

湖沼や海での魚類、貝類などの養殖

陸水生態系、沿岸・海洋生態系

野生動物産品 山菜やキノコの採取、(鳥獣の狩猟)

森林生態系など

繊維

木材

スギやヒノキなどの建材

森林生態系

綿・麻・絹

(綿花の栽培、養蚕)

農地生態系

(薪炭) 森林生態系
遺伝子資源 (雑穀・野菜や家畜などの地方品種) 農地生態系など
生化学物質、自然薬品    
装飾品の素材 漆などの塗料、植物染料、庭の植栽 森林生態系、農地生態系など
淡水 河川からの産業・生活用水の取水、水力発電 陸水生態系、森林生態系、農地生態系
B.調整サービス

大気質の調整

 

森林生態系など

気候の調整

森林による温室効果ガスの吸収

森林生態系

水の調整

森林、湿原、水田などによる湛水

森林生態系、陸水生態系、農地生態系

土壌浸食の抑制

森林による土壌浸食の抑制

森林生態系など

水の浄化と廃棄物の処理

干潟の水質浄化機能 陸水生態系、沿岸・海洋生態系など

疾病の予防

 

 

病害虫の抑制

天敵による農業害虫の抑制

農地生態系など

花粉媒介

ハチによる農作物の受粉 農地生態系など
自然災害からの防護 森林による山地災害防止、砂浜やサンゴ礁による防波 森林生態系、沿岸・海洋生態系
C.文化的サービス

文化的多様性

地方ごとに特色のある祭りや食文化

全ての生態系

精神的・宗教的価値

鎮守の森になど在地の宗教

知識体系(伝統・慣習)

農事暦

教育的価値

子どもの昆虫採集

インスピレーション

俳句の季語

審美的価値

国立公園の探訪

社会的関係

国民性・県民性

場所の間隔

県の鳥、県の花

文化的遺産価値

天然記念物、名勝

レクリエーションとエコツーリズム 登山、海水浴、潮干狩り、ダイビング、エコツアー
D.基盤サービス

土壌形成

生物の相互作用による土壌の形成

全ての生態系

光合成

植物による酸素の生産

一次生産

生物によるエネルギーと栄養塩の同化・蓄積

栄養塩循環

生命に必要な栄養塩類の循環

水循環 生命体にとって必要な水の循環
出典:生物多様性総合評価報告書(2010);環境省
・ミレニアム生態系評価(2006);国連環境計画(UNEP)をもとに作成されたもの。
・カッコ内は、供給サービスのうち、現在では経済的な意味が小さくなったものとされている。

A.供給サービス

 一般に実感されやすい生物多様性の恩恵です。「海の幸、山の幸」、「~の水(ミネラルウオーター)」と言えば、誰でもイメージすることができるでしょう。また、少し日常からは離れますが、「目に見えない生物から病気の特効薬が見つかった」という類のストーリーは、多くの人をはっとさせます。実際、人間の健康・長寿を阻む病気に対する新薬が、食料危機の時代に高生産効率をほこる作物が、様々な植物や微生物から開発され、製品化されています。40年後に人口が90億人時代を迎えるに当って、質が高く、より大量で、より生産効率のよい食糧、医薬品が求められています。その「宝庫」としての生物多様性の価値は、ますます脚光を浴びることでしょう。
 ただし、この価値(供給サービス)だけに目をとらわれすぎると、もっと根本的なところで私たちの生をつないでくれている生態系サービス(調整サービス、文化的サービス、基盤サービス)が犠牲にされかねない危険があります。

B.調整サービス、D.基盤サービス

 私たち人間が生をつなぐことができる場所は、地球のほんの薄皮1枚のところに過ぎません。この部分にだけ、私たちが生きるに適している、安定した(太陽)エネルギ-の流れ、栄養塩類や水を含む物質循環、生物間の相互作用が働いているからです。なぜ、ここにだけこのような条件がととのっているのでしょうか。それは、とても複雑で精緻な生物間相互のはたらきがあるためです。このようなはたらきがある場所を「生物圏」とよんでいます。このはたらきの結果として、私たちを取りまく大気、水、土壌があり、様々な生産・消費活動が成り立っているのです。私たちの生存を支える地球の生命維持装置は、まさに生物多様性のたまものといえます。
 地球生物圏が「調整サービス」や「基盤サービス」を発揮し続けるためには、人間がその働きに干渉しすぎないようにしなければなりません。ここで一つ問題になるのは、前述した「供給サービス」の追求と「調整サービス」や「基盤サービス」の維持との間に生じる緊張関係です。
 高品質、大量、高生産効率の食糧や医薬品開発を進めるために地球の隅々まで生態系が探索され、ある種の資源価値がはっきりすれば徹底した収奪が行なわれるおそれがあります。また、生物種を食糧や医薬品開発に活用するためには、本来の生きものの性質や生きものどうしの関係を変えることのできるバイオテクノロジーが用いられます。人工的に作り変えられてきた生物が野外に放出される事態が起きれば、生きものや生きもの間の相互関係が人工的に変ぼうさせられるおそれがあります。
 生物多様性の実体が、35億年とも40億年とも言われる進化の歴史の中で形成され今も発展しつつ、多様な生物間の相互作用にあることが忘れられてはなりません。「生物多様性」が「経済価値のある資源の集合体」のように扱われることになれば、「調整サービス」や「基盤サービス」の働きはいつか衰えます。それは、自分たちの足下にある生存基盤を自ら堀崩すようなものです。

C.文化的サービス

 地域の文化様式は、その地域の生態系のあり方によって大きな影響を受けてきました。その影響は、衣食住のための生活物資の素材や土台を通じた目に見えるものだけでなく、人々の意識やものの見方、考え方にさえも及んでいます。そのことは、地域信仰や伝承に野生動物が果たす役割によくあらわれているといえるでしょう。
 このように、生物の多様性は、宗教や芸術を含む人間の精神作用、文化の形成に世代を超えた影響を与え、文化の多様性を形成してきました。

 特に生物多様性の教育上の価値に着眼してみましょう。子どもは、友だちに始まって、徐々に世界観を広げ、その過程で他者やその世界にふれていかなければなりませんが、他者の存在を理解し、さらにそれを受け容れたり、尊重できる力をどう養うかが人格形成において重要な課題となります。生物多様性は、それにふれる機会がうまく与えられれば、「他者意識」を涵養する上で大きな役割を果たすことができます。
 たとえば、ある野生動物を見たとき、それは自分の目に焼き付いた景色の一片となります。その限りでは、自分の生活に紛れ込んだものに過ぎません。しかし、何かのきっかけ(例えばある実体験や教育など)によって想像力を働かせることができれば、その出会いは「自分が生きている世界とは全く別の世界が存在すること」に気づかせる経験となります。
多様な野生生物は、それぞれが異なった生態と行動様式をもちます。食物、すむ場所が違い、色や形も違います。求愛行動や巣作りに見られるように、子孫を増やす方法も様々です。とくに哺乳類や鳥類などでは、複雑な社会構造を作って暮らすものもあります。人間の家族と似ているところもあれば、まったく違うところもあります。野生生物の世界には驚くべき独自性があります。 一方、これらの多様な野生生物は互いに無関係に生きているわけではありません。食べたり食べられたり、敵から守ったり守られたり、すむ場所を他の生きものに提供したり逆に横取りされたりなどとそこには複雑な網の目のような関係があります。つまり、野生生物は、人間の世界(人間社会)とは異なった、独自の法則に基づいて複雑な世界を創り、そこで生きています。その世界は、「本来」人の手で創り出せず、人間社会に依存することのない、自律的な存在です。
 このように、生きものの世界は、独創性、自立性、自律性、そしてそれらの基礎となる多様性という見方を実感を伴って理解させてくれます。野生生物は、人間社会とは別の世界に属する究極的な「他者」といえるからでしょう。

(坂元雅行)


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