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種に何の価値があるのか。生物多様性に値段を付ける。

投稿意見:Richard Conniff投稿、2010年09月27日

 官僚達が10月、生物多様性条約国際会議に集まるときには、世界は、なぜ種が人類にとって重要なのかを注意深く思い起こすかもしれない。それは、酸素を生み出すためであり、新薬発見のためであり、農業生産性を高めるためであり、そして、遥かに具体性から遠いことではあるが驚異を感じてみたいという感覚のためである。

 私たちは、逆説的なことに、新発見のそしてまた大量絶滅の、顕著な時代に生きている。日々現れる新しい種に驚くのは、新しい道路を作り、新しい技術で、以前は遠隔地だった生息地に侵入するときである。そして、種もまた、永久に失われてしまう。その数は、科学者の推定では、通常の絶滅の割合の100倍から1,000倍になる。

 過去数年間にわたって新種発見の歴史についての本を著述していた関係で、私は、しばしば、ひとつの根本的な疑問に立ち返っている自分に気がついた。なぜ、種が重要なのか。それは、科学者が一つの種を発見しあるいは別の種が絶滅したと宣言したからといって、なぜ、一般人が気にする必要があるのか、ということである。

 こう問うてみる必要があるのは、あまりに自明のことかもしれない。ある限られた状況下では、人々は明らかに気にする。たとえば、ジャイアントパンダのような高級感のある種を守るためには、私たちはどんなことでもするだろう。地球外宇宙に生きる生命にいたっては、ほんのわずかな微生物の気配を発見する可能性にも、ぞくぞくするのである。アメリカ政府がほぼそうした目的のために年間70億ドル(5,720億4,000万円:2010年10月26日レート、1U.S.ドル=81.72円)を費やすと聞いても、瞬き一つして驚くことはほとんどない。その一方で、私たちは、自分達のまわりのこの地球上にいる異質の生命体を探すのには、数円しかかけない。

 たぶん、自分達の目の前に在る物は評価しない、あるいは目もくれないのは、単なる人間の性質なのかもしれない。そしてたぶん、コミュニケーション不足の結果でもあるのかもしれない。

 私たちは、自分達の生命がまだ聞いたこともない種に頼って存在していることを、理解する必要がある。

 つまり、科学者は自分達の仕事をもっとずっと基本的レベルまで掘り下げて説明する必要があるのかもしれないということだ。――「なぜ、種が重要なのか」ではなく、「あなたには、食物は大切ですか」とか、「お子さん達が病気に罹ったときに、効果的な薬が手に入るようにしてあげたいと思いますか」とか、「息をするのは好きですか」とさえ、語りかけてみる必要性があるかもしれない。これらの質問のどれも、種の重要性を誇張しすぎてはいないのである。たとえば、プロクロロコッカスは、大洋に生息するシアノバクテリアの種であり、地球上に最も豊富な生命形態の一つである。なぜ、気にする必要があるのか。それは、私たちが呼吸する酸素の20%を生産しており、さらに、マサチューセッツ工科大学の微生物学者Sally Chisholmが1986年に発見するまで、知られていなかったからである。要約すると、私たちは、自分達の生命がまだ全然聞いた事のない種、つまり、そうでなければあいまいで些細で望ましくないとさえ思われるとして無視し去るような種に依存しているということを理解する必要がある。

 たとえば、ハゲタカである。私たちは、自分達が原因で一つの種を衰退させてしまうときに、その過程で何が失われてゆくのか、ほぼ絶対わからないし、考えてみるために立ち止まることさえ、ほとんどない。本当のところ、考えることも難しいかもしれない。というのは、私たちの行動が種にもたらす段階的効果は、しばしば最初の原因から異様にかけ離れているからである。だから、1990年代初頭、インドでは、農家は抗炎症薬ジクロフェナクを、自分の家畜の痛みや熱を和らげるためという明らかに立派な理由のために、使用し始めたのである。不幸なことに、家畜の死体をあさるハゲタカがこの薬を多量に蓄積し、腎不全を起こしてすぐに死んでしまった。14年間に渡って、3種いたハゲタカの数が、96.8%から99.9%の間の割合ほど、急激に減少してしまったのである。

 種の多様性は、新しい病気の発生を防ぐのに役立ち得る。

 こうした有能な清掃動物を失ったということは、つまり、家畜の死体が大地に放置されて腐ってゆくことを意味した。これは、一種の「エコ・サービス」――すなわち、酸素を生み出し、二酸化炭素を吸収し、洪水を防止し、生ごみをなくすといったことであるが、こうした種は、自分達がやめてしまうまで、大抵、気づかれることもなく働くのである。しかし、エコロジカル・エコノミクス掲載の2008年の記事によると、影響は、その生み出す悪臭よりもはるかに程度が大きい。ハゲタカがいなくなったところに移動してきたのは野犬で、同時代に渡ってその頭数が、900万頭にまで急速に増加してしまった。犬は人を噛むものであり、人間の狂犬病発症数も増加した。記者達の推定によれば、結果として、控えめに見ても、その14年間の間にこれまでの死亡数に加えてさらに48,000人の人々が死んでいったという。私たちが大自然から受ける損失量を計算することは、非常に難しい。だが、ほんのわずかな先進諸国の価値観で生命に値段を付けてさえ、3種のあまり重要とは思われないハゲタカという種のほぼ全体的損失は、今までのところ、インドにとって、推定240億ドル(1兆9,612億8,000万円)にのぼる。

 生物の多様性はまた、新しい病気の発生を防止するのに役立ち得る。それなのに、私たちは、この特殊なエコ・サービスの本質を、評価するよりはむしろ非難しがちなのである。たとえば、私たちはしばしば、ライム病の対策として、その主な犯人である黒脚のマダニとシロアシネズミを駆除しようとする。しかし、ケアリー生態系研究所のRick Ostfeldが提案した「希釈効果」によれば、直観に反してはいるが、一つの生息地に最も幅広く多様な寄生動植物の宿主種を存在させることが、病気を抑えるより良い手段であることを示唆しているという。これら寄生動植物宿主のいくつかは感染物質を感染させる効果がないであろうし、あるいは感染物質の最終地となるであろう。だから、こうした宿主は、病気の威力を薄め、病原組織が積み重なって、人類にまで溢れて及ぶのを防いでいるのである。だが、私たちが、裏庭を作るために森を切り開いて生物の多様性を減少させてしまったら、偶然にも、病原菌にとって最も都合の良い宿主――この場合は、シロアシネズミを優遇することになる。そして、私たちは病原体を薄められていないままに野放しにし、勢ぞろいして活躍させてしまうのである。

 この意味するところは、ライム病の事例をはるかに上回る。過去半世紀の間、世界中で、研究者達は、エボラ出血熱からHIVにいたるまでの約150の新しい伝染病を追跡してきた。その60%から70%は、動物原性感染症であった。――つまり、動物から人間にうつったのである。ハーバード大学の小児科医で2008年発刊の本「生命の持続:人類の健康がいかに生物多様性に依存しているか」の共著者であるAaron Bernsteinは言う。「問題は、人類が、これら動物原性感染症の病気をどこからともなく現れるようしむけるようなことを何かしていないかどうかということです。」明らかに、私たちはこの唯一してはいけないことを、おおいにしているのである。――森林を切り倒し、同じ場所で「希釈効果」が働かない種のバリエーションに乏しい生息地を作り出しているのである。このようなわけで、恐ろしいのは、さらに多くのこうした流行病が前途に横たわっているかもしれないということだ。

 それでもやはり、おおいに治癒力を持つ種さえ、理解されることはほとんどないため、ラトガーズ大学の哲学者は、ニューヨークタイムズに記事を寄せて、残忍な肉食動物種を次第に絶滅させて、柔和な草食動物と入れ替えることを提案した。彼は、ライオンが、羊をディナーとして食うことなしには共に寝そべることをしないと、心をいらだたせたのである。そして、このとき、栄養作用カスケードと呼ばれるよりひどい残酷さは、明らかに忘れ去られていたのである。捕食者がいなくなれば、生息地の多様性がなくなり、文官同様のおとなしい動物しか残らないのである。あるいは、作家David Quammenが「マイナーな木や草をかじり取る動物による弊害」と呼んだ現象しかもたらさないのである。

 私たちの理解力はあまりに幼稚であるため、一つの種が重要で別の種は大切でないなどということはできない。

 たとえば、シアトル近海の太平洋岸にある満ち潮と引き潮の間に現れる岩場の世界では、食物連鎖(栄養状態を意味するギリシア語のtrophikosからきた栄養作用trophicコミュニティー)は、フジツボ、カサガイ、節足動物、イソギンチャク、そしてとりわけイガイからなる。ヒトデは、圧倒的に優勢な捕食者である。だから、イガイは、通常、ヒトデにむしゃむしゃと食われにくい高潮線に沿って、押し寄せるように這い上がってくる。ある研究で、一人の生物学者が、ヒトデを取り去って、何が起こるか見てみた。すると、イガイはすぐに、海のより深い所へ這い降りてしまい、他の種の居たところへ押し寄せて、他種を追い出してしまったのである。数年以内に、まだなおもその近隣に住んでいられたのは15種居たもとの種のうち8種のみであった。明らかに残忍であるにもかかわらず、他種を殺して回る種は、生物多様性を守り育てる手段と成り得たのである。

 そうだとすると、ことは個々の問題であろうか。言いかえると、種の多様性の問題のみであろうか。本当のことを言えば、私たちの自然世界に関する理解はあまりにひどく幼稚すぎて、誰も、一つの種が大切で別の種は重要でないなどとは言えないのである。実のところ、科学者は、ほとんどの種について名前をつけることすらしていないのである。科学者が解明したのは、全体のうち180万種のみである。推定して1,000万から5,000万種がまだ知られていない。だから、近年の環境保護論者は個々の種について長く激しい議論を戦わせるかわりに、多様性を強調し、多数の種の生息する幅広い土地を守るために活動する傾向がある。これは、環境保護に関するオートバイ整備士的なアプローチの仕方である。Aldo Leopoldはこの思想を「聡明な修理の仕方における第一の警戒策はひとつひとつの歯車の歯と車を保持しておくことである」と表現し得ている。

 だからといって、私たちは、そうでなければ、価値のないものとしてあるいは人類の進歩にとって障害であるとさえ考えられて、無用とみなされたかもしれないような、個々の種から人類が得る利益を、声高に知らせるのをやめることはない。環境保護論者の中には、経済用語でもって擁護するという自然界の品位を落とすような考えを持って、ぺこぺことへつらう者もいる。だが、NASAはその使命遂行にあたり、なんとか驚異の感覚を保持することに腐心している。また一方同時に、宇宙探検が軍事部門から文民世界への技術の移行という点において、それ自体価値のあるものとなりうるという考えを声高に宣伝している。」(実際、NASA「臨時特別号カラー版」と言う本を出している。この本では、地球外宇宙での鏡を磨く技術が今やまた、「非常に速く!」走るアイススケート靴を作るのに利用されている事例を公表している。)宇宙における地球内環境に関する議論との違いは、ここ地球上で種を探索することの波及効果に関する議論のほうが、遥かに人々に対して説得力があるということである。

 種は、農作物をもっと生産的にするための原材料として、豊かな母なる源泉である。

 国立ガン研究所のDavid J. Newmanは言う。「たとえば、イチイの木は、最近まで、「役に立たない木」だったのです。」自分の先祖が、アジャンクールの戦いで矢を放つときの弓をこしらえるために、木を選ぶときには、イチイは、最も価値の低い木だったと、彼は考えるのである。しかし、イチイの木は今やタクソールの原材料であり、数万人の人々が、乳がん、前立腺がん、および子宮がんの救命治療薬として、頼りにしている。健康管理情報とカウンセリングを専門とする会社であるIMS Healthの調査によれば、イチイの売り上げは去年、16億ドルを上回ったという。同様に、毒トカゲを救うためには、かつて誰もデモ行進をしなかったが、今や、その毒液は、現代アメリカ人全体の生涯における3分の1がかかる流行の病であり勢力を増しつつあるII型糖尿病で、伝統的な治療薬を使いたがらない人々のための、新薬の原材料である。

 事実、製薬会社が、研究室内で理論的な薬品の設計に基づいて虚空の中から薬を作り上げ得るという、一般に通用している考えは、明らかに間違っている。ある最近の研究では、20年間に渡り世界中で承認された1,000以上の薬を注視した結果、完全に人工合成された原材料にまでさかのぼり得る薬は、一つもなかった。大自然に存在する種から、人類がアイデアを得るというのが、今なお通用する方式である。

 同様に、野生の種は、引き続き、農作物をより生産的にするための、あるいは、害虫や病気、そして干ばつにより強くするための、遺伝子を取るための原材料という点で、豊かな母なる源泉であり続けている。生物学者たちが、植物の成長を助ける、細菌、菌類などといった微生物の生命形態を探索し始めるにしたがって、次の数年間にわたり、このたぐいの生物調査は、はるかに重要となる可能性がある。実のところ、大自然の隠れた資源を活用する賢い方法を見つけ出す以外に、私たち人類に選択の余地はほとんどない。もしNASAがその栄光の時代に――10年後に月に到達する――という一つの使命を持っていたとするなら、今、生物学者たちもやはり使命を持っているのである。人類の数が次の40年間に90億人まで増える時に当たり、食料や医薬品を供給し人を健康にしてくれるのに不可欠な、この地球上の種と生息地を保持するという使命をである。

 種の価値について、一つの最終的議論が戦わされている。美しさ、生命愛、そして聖なるものであるという感覚が必要でなければならないというものだ。種の発見に関する私の本を調べてみた過程では、海洋軟体動物の19世紀における若き専門家が、最も説得力を持った事例となると思われる。博物学者William T. Dallは、アラスカ海岸に沿って新種を求めて旅し、通常の冒険と言う冒険は、すべて経験しつくした。その中には、アザラシの毛皮のドーリーに乗って、氷の塊の載った波にもみくちゃにされないように気をつけながら、氷結していない海を渡って、長い間極寒のなかを旅するというものもあった。

 彼は自分の家族に、何が自分をこうした旅に駆り立てたのかについて、雄弁に語った。思うに、他の新種探求者のほとんどにも、当てはまるだろう。彼は1866年に家族にこう書き送っている。「これらの繊細でほとんど顕微鏡によらなければ見えない動物を取って、強度のレンズに置き、小さな心臓が鼓動し、血液が循環し、えらが拡大するのを観察し、筋肉と血管、そして、血液を形成している小さなほぼ円盤状のものを数え、また、これまでにこれらの神秘を理解したのは自分が初めてだと、これからも、自分がただ一人だろうと、自分の注釈とスケッチ、観察が、造物主なる神の力と恵みと美しさに新たに加えられたことも多くのしっかりとした知識であると認識するのには、不思議な喜びがある」

 2010年9月27日、「生物多様性気候方針」&「政治方針」&「政治汚染」&「北アメリカの健康」に掲示。

著者について
Richard Conniffは、2007年のグッゲンハイム特別会員であり、ナショナル・マガジン賞を受賞した作家である。その著作は、タイム、スミソニアン、ジ・アトランティック、ニューヨークタイムズ日曜版、そしてナショナル・ジェオグラフィックに見える。6冊の本を書き、そのなかには、「金持ちの自然史」、「実施ガイド」を含む。一番最近の本は、「種の探求者:英雄にしてバカそして無我夢中の地球生命の探求」であり、この秋に刊行予定。また、「種の探求者」と呼ばれるブログを書いてもいる。Yale Environment 360への以前の投稿記事で、アフリカの野生生物の衰退について、また、カーボン・ニュートラルな(翻訳者註:大気中の二酸化炭素を増加も減少もさせない)ビルの追求について、書いている。
(翻訳協力 蔦村的子)

【JTEFのコメント】
 名古屋での生物多様性会議が終了し、みなさんは種の多様性について、何か考えたでしょうか。網の目のように複雑につながっている自然界。そこから恩恵を受けている私たち。種について、こんな文を読んでいただくのもいいかなとこの翻訳を選んでみました。

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