これまでの歴史
ゾウ保護基金の歴史 -ゾウ支援(国内)
ゾウ保護キャンペーン
2003年:ゾウ保護キャンペーン「象牙取引再開を阻止しよう」
2002年のワシントン条約締約国会議で認められてしまった南部アフリカ3国からの在庫象牙の取引再開。象牙取引再開に積極的な日本政府に対し、多くの反対の声をあげるよう働きかけをしました。
開発支援・国際協力関連団体、消費者運動・グリーンコンシューマー関連団体、自然保護・動物保護関連団体へ呼びかけ
2004年:東京、山梨、大阪で記者会見 街頭キャンペーン
首都東京だけでなく、象牙業者が多く「日本一のはんこの里」といわれている山梨県や、大阪でも記者会見やキャンペーンで多くの方に実情を知っていただきました。
2004年:
横浜SOGOで、動物肖像画家の相沢ときえ氏の絵画とJWCSのパネルでの共同パネル展が開催されました。その中で1日浜畑健吉氏による朗読「折れ牙」を上演しました。パネル展に来てくださったヒサクニヒコ氏も交え、相沢ときえ氏、戸川でトークショーも行いました。
2004年、2005年:パネル展 「象牙のハンコを買わないで」千葉市動物公園
動物園で大人気のゾウ。象牙はゾウを殺さないと取れない、とわかるパネル展を開きました。
2007年:アフリカンフェスタに参加 「象牙は買わない」キャンペーン
日本とアフリカの相互理解・交流促進を目的とした外務省主催のアフリカンフェスタに参加しました。「象牙はいらない」と印字されたハンコを大きい布いっぱいに押してもらい、オランダでのワシントン条約会議場へ持参しました。駐日アフリカ大使館もブースを置いており、「密輸象牙の行先は日本」というレポートを各大使館ブースに配布しました。
ワシントン条約と日本における象牙の国内取引規制についての取組み
日本の象牙市場、取引ルート、法規制を調査・研究し、違法な象牙取引をなくすための適切な法規制と取締り強化を提言してきました。日本政府や象牙業者が、それらの提言を実行できない状況で象牙取引を再開すれば、ますます違法行為がはびこることになります。
2000年:COP11 ケニア
南アフリカのゾウも付属書Ⅱへ落ちてしまいましたが、在庫象牙の輸出決定は次回へ持ち越しとなりました。象牙取引再開に反対するNGOとともに、各国政府代表へロビー活動を行いました。
2002年:COP12 チリ
南部アフリカ3国からの在庫象牙輸出が条件付きで決定されてしまいました。 私たちは各国政府代表へレポートを配って、象牙の輸入を求めている日本国内で、密輸象牙と正式に輸入された象牙との区別がつかないことなど法整備が不十分なことを訴えました。
2002年12月:象牙取引提案審議の経過と結果について報告会開催
2004年:COP13 タイ
タイ・ミャンマー(ビルマ)の国境付近で密猟されたゾウが、「繁殖個体」と偽られて、タイから各国の飼育施設に輸出されている可能性が高いことを、タイのNGOとともにレポートしました。
2006年:COP14 オランダ
2002年のCOP12 で輸出が決定した南部アフリカ3国所有の在庫象牙60トンが日本への輸出が決定しました。 しかし、日本国内での管理体制は全く十分ではありません。1本丸ごとの牙でなくカットされた牙には登録する必要がないのです。密輸される象牙はカットされてくるものがほとんどですから、密輸象牙が市場に交じっても区別が全くつきません。
ゾウの保全について普及
象牙取引問題の本質は何か、ゾウの保全の課題は何かというように、ゾウの保全をめぐる問題を明らかにし、一般の人々に普及してきました。
2003年:朝日新聞「私の視点」に「象牙取引 生態系を壊す再開に反対」という坂元の記事が掲載されました。
2006年:アジアゾウ研究者ラーマン・スクマール博士 来日講演会に後援
JTEFの専門家アドバイザーであるスクマール博士が2006年にコスモス国際賞(財団法人国際花と緑の博覧会記念協会)を受賞され、東京と大阪で行われた記念講演会に後援しました。大阪では講演後にJTEF理事の山極寿一教授と対談しました。
博士は、日本でもクマなどの農作物や人身被害が社会問題になってますが、それと同じくインドで問題になっているゾウと人との軋轢について、話されました。「ゾウの生息地を農地開発などで分断し本来の移動経路に農地が入ってしまったことから、人間とのトラブルが起きている。人間活動をコントロールするしかなく、そのために技術の開発と地域の人々が経済的動機と文化的誇りにささえられるようにすることが大事だ」と訴えられました。トラブルを解消するためにはコリドー(生息地と生息地をつなぐ渡り廊下のような道)の実現が最も重要とも述べられました。
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