これまでの歴史
保護基金の誕生
トラ保護基金
1997年、戸川、坂元、ボランティアスタッフ村山の3人はアムールトラの生息地を旅するツアーに参加しました。冬はマイナス30度にもなる餌動物の少ない広大なロシアに生息するアムールトラは、1991年にソ連邦が崩壊し国境が開かれたとたん密猟者がどっと流れ込み、毛皮や漢方薬に利用する虎骨の密猟で危機に陥りました。1冬で150頭も殺された年もあります。当時400頭いたアムールトラは半減し、国際的にトラの危機がさけばれ保護の機運が高まっていました。
戸川個人としては、この旅行に思い入れがありました。晩年トラの研究に勤しんだ父戸川幸夫はほとんどのトラの亜種がいる地域を訪れていましたが、ソ連邦崩壊の翌々年に脳梗塞に倒れたためアムールトラの生息地だけは行けなかったのです。トラのバイブルともいえるトラの専門書「虎 その孤高なるもの」を出版した父ですし、「白食山塊」というロシアを舞台にしたアムールトラの長編小説も書いていたので、ロシアにはどんなに行きたかったことでしょう。私は父の代りにしっかり見てこようと思ったのです。
国際機運が高まってはいたものの、ロシアはトラを保護する経済的ゆとりがありませんでした。そこでアメリカやドイツのNGOが資金援助し、ロシア政府下にパトロール隊を結成したのです。私たちはアメリカとロシアの研究者たちが共同でトラを守っている姿をしっかり見てきました。
トラはアジアにしか生息していないし、日本はアジアの経済大国です。しかも新潟からたった1時間半で行ける近さなのに、当時の日本はトラの保護など全く考えてもなく、虎骨入り漢方薬が堂々と合法に販売されていました。
「日本でも野生のトラのために何かしたい。」私たちは日本人としての責任感と正義感、そしてロシアで見た母親が殺されたため保護され、もう野生には戻れない、生まれたばかりの赤ちゃんクマや子トラの姿にせっつかれるように、帰国後すぐに「トラ保護基金」を立ち上げました。日本で寄付を集め現地でトラと生息地を守っているレンジャーに必要なものを届け、日本でトラの危機を発信し、トラ製品を販売禁止にするのが主な目的です。
ゾウ保護基金
「ゾウ保護基金」の誕生は、2000年4月のことです。
1990年代、ペレツ・オリンド元ケニア国立公園庁長官や小原秀雄女子栄養大学教授(現名誉教授)が中心となってアフリカゾウ国際保護基金(AEFI)を設立、ケニアのツァボ国立公園へマラリア予防薬等の医薬品を支給するなどの活動を行っていました。その活動資金として、日本で寄付が集められていました。2000年に入ろうとする頃、AEFIのプロジェクトのための寄付集めから支援実行までの事務をJWCS事務局が引き受けることが提案されました。アフリカゾウの保全については、JWCSは象牙取引問題で既に深く関わっており、消費国における違法取引の撲滅、象牙需要の減少が活動の課題となっていました。それに加えて生息地への直接的な支援を行うことはアフリカゾウ保全の両輪となり、大きな意義があると考えられたのです。検討の末、JWCSは、AEFIへの支援事務局を担うという形ではなく、まったく新しいプロジェクトとして「ゾウ保護基金」を設置、AEFIはその支援先のひとつとするという枠組みとなりました。大きなトピックは、アジアゾウへの支援がはじめてスタートしたことです。2000年の12月には、「21世紀も野生のゾウがくらす地球に-ゾウのくらすアフリカの大地、アジアの森-」という設立記念イベントが表参道で開かれました。
新たに加わったアジアゾウ支援についても、そこに至る道のりがありました。1997年に南部アフリカのジンバブエで開催されたワシントン条約締約国会議(ジンバブエ)では、文字どおり激しいバトルが展開されました。この会議では、条件付ながら、日本1国が50トンの象牙を南部アフリカ3カ国から試験輸入することが決まります。1989年以来閉ざされていた象牙取引の扉がこじ開けられた瞬間でした。このような選択に対する賛成・反対が激しく論争される場で坂元が出会ったのが、現インド野生生物トラスト(WTI)代表のビベック・メノン氏です。会議の9ヵ月後、坂元は彼に連れられて南インドの野生生物保護区を訪れました。そのとき、私たちがともに挑戦を誓ったのは、ジンバブエ会議でムガベ大統領が行った演説の内容に対してです。それは、「ゾウが守られるべきものならば、その身を売った対価でもって、その費用としなければならない」というものでした。インドでも、象牙目的の密猟がはびこっていましたが、それ以上に、人間の土地利用によって生息地が切れ切れにされる問題、その結果として農民とゾウとの軋轢がアフリカよりも厳しい状況でした。アジアゾウはオスの一部しか牙を持ちません。使役ゾウとしての需要も機械化が進み、昔とは比較になりません。では、アジアゾウは身を売ってもお金にならないただの邪魔者だから「守られるべきではない」のでしょうか。そもそも、野生動物自身に「身を売らせる」ようなことをせずに必要な保全措置を実行することこそ、私たちが取り組むべきことではないのでしょうか。
ゾウが要求する広大な生息地が占める空間には、アフリカとアジアの数知れぬ生きものからなる世界が息づき、未来に向かって進化を続けています。この営みそのものが、私たち人間の未来をつなぐ箱舟そのものでもあります。「ゾウ保護基金」は、この理念を具体的に実現するための活動として生を受けました。
トラ保護基金の歴史
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