象牙取引の真実
■これだけゾウが殺されてきた
アジアでは5000年も前から象牙細工が行なわれてきました。王座から小刀の柄にいたるまで、あらゆるものに象牙が使われていたようです。これに対して、アフリカゾウの象牙利用の歴史はもっと浅いようです。はじめて大々的に象牙の取引を行なったのは、フェニキア人だろうといわれています(紀元前1000年頃)。取引は、やがて植民市カルタゴを中継地点として地中海全域に広がりました。時を経て、東アフリカに進出していたアラブ人は、沿岸のゾウを採り尽くし、19世紀後半には内陸部にキャラバンを送り込みました。その際、「荷物運搬用の動物」として、アフリカの人々が奴隷として大量に売買され、あるいは捕らえられました。アジアやヨーロッパの要求に応えて象牙の国際取引が大規模化したために、ゾウ狩りと象牙運搬が奴隷貿易と結びついたのです。奥地から海岸までの「奴隷」の行列の行程で多くの人が死に、生き残っていた人は象牙と一緒に売られ、西はヨーロッパやアメリカ大陸へ、東はイスラム諸国や極東へ運ばれていきました。
ゾウにとってより急速で大規模な危機が訪れたのは1970年代以降でした。たとえばスーダンでは、1975年に輸出された象牙が1トンだったのに対し,1979年から1983年の間に少なくとも900トンつまりゾウ10万頭分の象牙が輸出されていたといわれています。スーダンのゾウだけでなく、周辺国で密猟されたゾウの牙が大量に流れ込み、それがスーダンから輸出されていったのです。自動銃で武装した密猟者がゾウを群れごと一掃しました。象牙が金になるということで、軍隊,警察,刑務所,野生生物局の人間たちが象牙取引を盛んに行なっていました。ケニアでは、1970年代から政治腐敗のためにゾウの大量殺戮が起きていました。自然死した象牙の回収を許可する「回収許可状」が、密猟象牙を自然死したゾウの象牙と装うために発行され、政治家が私腹を肥やす事態まで起きていました。このような大量殺戮が可能になったのは、70年代後半の武器の近代化によるものです。現在も、テロリスト御用達の自動小銃カラシニコフ(AK47)がゾウを群ごと一掃しました。象牙を高値で取引するための密猟が、1980年代の10年間だけでアフリカゾウを134万頭から62万頭へと70万頭も減らす元凶となったのです。
■アフリカゾウは「増えている」?
現在、アフリカ大陸全体で「確実に」472,269頭、「おそらく」それに加えて82,704頭のアフリカゾウが生息しているといわれています。しかし、アフリカゾウ全体の個体数が増えているというデータはまったくありません(African elephant status report 2007, IUCN)。 アフリカゾウは、依然として絶滅のおそれにさらされており、国際自然保護連合(IUCN)のレッド・リストに掲載されています(Vulnerable:絶滅のおそれの高さが3番目のカテゴリー。100年間で10%の確立で絶滅)。
ただし、一部の地域、すなわち南部アフリカおよび東アフリカについては個体数の変化が推定されています。これによると、2002年から2005年にかけて66,302頭の増加(年4%)とされています。もっとも、ゾウは日常生活でも、季節的にも長距離を移動する動物です。そのため、増加の原因が、純粋に個体数自体の増加によるのか、ゾウの移動によって二重に数がカウントされてしまったせいもあるのかは断定できないとされています(African elephant status report 2007, IUCN)。
そもそも、20世紀に入る前には、アフリカゾウの個体数は大陸全体で200万頭といわれていました。それ以前はさらに多くのゾウがいたことでしょう。しかし、生息地の縮小や狩猟によって数を減らし、1970年代後半からは象牙目的の密猟が激化、1988年には62万5千頭まで減少してしまいました。
上記のとおり、2002年から2005年にかけて南部アフリカ・東アフリカで個体数に増加傾向が見られるとすれば、基本的にはゾウの回復を示すものとして歓迎すべきことでしょう。しかし、現在の「増えているかどうか」の議論は、こうして著しく減少してしまった状態から、一部の国、地域で増加傾向にあるかどうかに関するものに過ぎません。旱ばつ等、環境の大きな変動によって、アフリカゾウの個体数が激減しうることもよく知られており、今後とも油断はできないでしょう。さらに、個体数が増加したとして、それが自然のプロセスによるものかという問題点もあります(次の項目を参照)。
■保護区に閉じ込められたゾウは、植生を破壊し尽くし、やがては自滅する? 間引きは必要?
ゾウは、草木を求め、日常的に、さらに季節的にはいっそう広大な生息地を移動する動物です。行く先々で、食べた植物の種子をフンによって遠くまで運び発芽させることで森を作ります。木を倒して光を入れ、森林と草地がモザイクとなった植生を作り出します。鬱蒼とした森林をゾウが歩くことでけもの道ができ、他の野生動物たちが利用します。ゾウにしか食べられない堅い木の実を食べて発芽させやすくすることすらあります(マルミミゾウ)。乾季に水を掘り当てるのもゾウの役目です。ゾウの森林を草地に変える力は強大ですが、これが生態系の自然なプロセスそのものなのです。
その一方、広大な生息地を移動するゾウを人の手で限られた区域=保護区に閉じ込めてしまうと、局地的・短期的には森林が見るも哀れな状態になることがあります。こうしたことから、やがて植生の破壊が保護区全体に広がる、やがて保護区は砂漠化する、そうなればゾウも自滅するというような意見が出され、間引きの必要を訴える声があがりました。ワシントン条約の場では、増え過ぎのために殺した動物の有効利用なのだから象牙取引も合法化すべきという飛躍した意見まで飛び出しました。
アフリカにおけるゾウの間引きの歴史を見ると、1966年にはケニアのツァボ国立公園で300頭のゾウが殺されました。しかし、1970-1971年に6,000頭が旱魃で死んでしまったとき、その政策は大きな批判を受け、それきりになりました。同じ東アフリカのタンザニア、ウガンダでも同時期に間引きが行われました。しかし、1970年代後半から象牙目的の密猟が激化して大量のゾウが死ぬと、間引き論は息を潜めてしまいました。南部アフリカは特に長い間引きの歴史がありますが、特にジンバブエでは、植生に影響のあるなしにかかわらず、ゾウの行動圏全体で広く間引きが行われてきました。1960年から1991年の間に46,775頭が殺されています。ナミビアのエトーシャ国立公園では1983-1985年に570頭のゾウが間引きされました。南アフリカのクルーガー国立公園は、一貫した間引き政策をもっている保護区で、同国に生息するゾウのほとんどが囲い込まれています。一定の個体群密度を維持するためとして、1967-1996年の間に、17,200頭が間引きされました(The living elephants. R. Sukumar. 2003)。その後いったん間引きは中止されていますが、たびたび間引き再開が議論になっています。
短い期間において目に見える惨状はともかく、保護区に閉じ込められたゾウは最終的に植生を破壊し尽くしてしまうのでしょうか。気候、樹木、ゾウおよびその他の草食動物の相互関係を含めた生態系プロセスの解明は困難ですが、いくつかのゾウと植生の動態に関する野外実験データの解析結果は、ゾウを間引きしても樹木種の衰退には影響しないことを示しています(Sukumar. 2003)。
フェンスのある保護区に閉じ込められて増加傾向にあるゾウの個体群をいかに管理すべきか(保護区管理をどのように行うべきか)。その問いに対する回答は何でしょうか。
局所的に生育する絶滅危惧植物の緊急保護などは別として、基本的には、長期的な視点でゾウの個体群の自律的な調整にゆだねるしかないというのが結論です(Sukumar. 2003)。風景の美観が損なわれるなど観光産業上の不利益はあるでしょう。しかし、既に述べたとおり、長期的スパンで見たとき、ゾウの個体数調整が植生の保全に影響するという証拠はありません。間引きやその代替措置としての避妊処置は、費用が莫大にかかるばかりか、逆に、長期的なゾウの個体群動態と生態系プロセスにどのような悪影響をもたらすのか予測ができません。
その際、保護区管理にあたって意識しなければならないことがあります。それは、ゾウの数を人為的に増やしている原因を取り除くことです。その典型例は、人工的な水場の供給です。南アフリカのクルーガー国立公園では、水場の供給が乾季のゾウの死亡率を不自然に低め、個体数の増加の原因になっている可能性があります(Sukumar. 2003)。保護区管理においては、ゾウの個体群の自律的な調整を妨げる干渉を控え、個体群の長期的な推移を見守ることが基本といえます。
■象牙取引への日本のかかわり
日本による象牙輸入の歴史を見ると、6世紀頃に中国から象牙の装飾品が輸入されたことがあったようです。奈良の正倉院にも所蔵があります。しかし、加工材料用の象牙が輸入され、日本国内で加工が始まったのはおそらく16世紀と見られ、需要もごく一部の層に限定されていました。その後鎖国があり、17世紀から限定的に輸入が再開されると、象牙の需要も拡大し、根付け、櫛、簪、茶壺の蓋などに加工されて富裕層に広まりました。明治以降、未加工象牙の輸入量は拡大していきます。
1960年代初め以来、象牙製品、とくに印鑑の大量生産を背景に、象牙輸入は右肩上がりで増加しました。1970年代には年平均255トン、1980年代には年平均270トン(ゾウ1万頭~2万頭分)を輸入しました。1983年、1984年には470トン以上の未加工象牙の輸入がありました。日本は、欧米や他のアジア諸国を抜き、世界最大の象牙輸入国となったのです。輸入象牙のうち、6割前後が印鑑の製造に使われ、1980年頃には毎年200万個もの象牙印鑑が製造されていました。
日本が象牙取引禁止前の1979年から1988年までの間、正規に輸入した未加工象牙は約2,727トン。ゾウの数にして12万頭前後にもなります。この期間は、まさにアフリカ大陸でゾウが象牙目的で大量殺戮されていた時期と重なります。
■象牙取引に反対する立場と賛成する立場
象牙取引の完全な禁止を難しくしている理由の一つに、アフリカ内でも国により政策・方針が違っていることがあげられます。東アフリカのケニアは、かつての大量殺戮の反省に立ち、野生動物を観光資源としてゾウを生かして利用する方針を堅持しています。豊かな熱帯林が広がる中央アフリカ、逆に著しく森林が破壊されてしまった西アフリカの諸国は、ともに保護区の管理とゾウの密猟防止を効果的に行なうだけの経済的余裕がないがゆえに、密猟を助長する象牙取引に反対しています。
これに対し、南部アフリカ諸国(ボツワナ、ナミビア、南アフリカ共和国、ジンバブエなど)などは、取引を積極的に推進してその利益を地域の経済開発・貧困解決や保護区管理に使うべきだと主張しています。
国による違いはあるにせよ、アフリカの全ての国にいえることは、象牙取引問題の背景に経済的な問題が横たわっているということです。ゾウをはじめ、野生生物を保全して行くには資金が必要ですが、それに回す余裕がありません。それゆえ、南部アフリカが標榜し、日本や中国が追随する「地域社会に利益を還元できる持続可能な利用」という論理があらわれます。しかし、政情不安や腐敗と戦い続けるアフリカ諸国で、「象牙の国際取引の利益を首都から遠く離れた貧しい集落に還元する」。それは、それほど簡単なことでしょうか。結局、誰がほとんどの利益を手にするのでしょうか。象牙の国際取引が、弱者を救うためのゾウの賢い利用方法とは思えません。求められるのは地域の日々のニーズに根ざした生活改善であり、そのためには将来の生活基盤としてゾウを含む自然環境を保全しつつ、内政や外交に依存しない自律的な経済を作ることのはずです。
■ワシントン条約における議論の経過
絶滅危惧種の国際取引を規制するワシントン条約(CITES)は、その成立以来、象牙取引問題とともに歩んできたともいえます。1975年に発効してから、1980年代初めまで象牙取引問題に特別な対応はありませんでした。1980年代半ばにはようやく重い腰を上げましたが、各輸出国に在庫を適切に管理させ、割当量の範囲で合法な取引を許しておけば、取引量は適正な範囲に収まるし、合法象牙が流通しているのだから闇取引がはびこる理由もないという政策でした。
しかし、ゾウの大量殺戮は止まらず、専門家チームがこの数年の象牙取引量に対応するペースでゾウが死ねば50年以内に絶滅するとした報告なども受け、1989年、第7回ワシントン条約締約国会議は、象牙取引の全面的禁止を決定しました。
その後、これを不服とする輸出側:南部アフリカ諸国と輸入側:日本の強力なロビー活動により、1997年に日本1国に対する象牙の試験的輸出が決定、1999年に50トンの象牙が輸入されました。その後も象牙取引推進国の攻勢は続き、2002年には条件付で象牙の輸出が決定、その後その象牙輸出に最終的なゴーサインが出ずに推移しましたが、経済力を増した中国が輸入国に加わるという展開も見せながら、2008年に日本と中国への輸出が最終確定し、2009年の春に合計101トンの象牙が南部アフリカ4カ国(ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエ)から日本と中国に輸入されました。これら南部アフリカ4カ国は、今後9年間、象牙取引再開提案はできないことになっています(それ以外の国は提案可能)。
ワシントン条約(CITES)の象牙取引問題への対応
1975年 | ワシントン条約発効。アフリカゾウは附属書II(輸出にあたって輸出国の許可が必要な種のリスト)に掲載。その頃既に、アフリカ内では政治経済的混乱が生ずるとともに、自動小銃が広く出回ったため密猟が激化していた。一方、世界最大の象牙消費大国となった日本は、1980年代に年平均270トンの象牙を輸入。このような状況下で、アフリカゾウは1980年代の10年間で134万頭から62万5000頭にまで半減。 |
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1989年 | ワシントン条約第7回締約国会議(COP7)(スイス・ローザンヌ)で、アフリカゾウ全ての個体群が附属書IIから附属書I(商業取引が禁止される種のリスト)に移行。象牙の国際商業取引は全面禁止(1990年発効)。 |
1992年 | COP8(京都)開催。ボツワナ、マラウィ、ナミビア、ザンビア、ジンバブエの南部アフリカ5国がそれらのゾウの附属書Ⅱへの移行と象牙取引再開を提案。しかし、賛同を得られず撤回。 |
1994年 | COP9(米国フォートローダーデール)開催。南ア、スーダン附属書IIへの移行と取引再開(南アは肉と皮のみ、スーダンは在庫象牙)を提案。しかし、賛同を得られず撤回。 |
1996年 | 故橋本龍太郎元首相、来日中のナミビア大統領に象牙取引再開支持を表明。 |
1997年 | COP10(ジンバブエ・ハラレ)開催。ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ、附属書IIへの移行と日本1国に対する象牙取引再開提案。附属書の移行と、条件付きで計50トンの在庫を日本が試験的に輸入することを決定。上記条件の一つとして、ゾウ取引情報システム(Elephant Trade Information System)とゾウ密猟監視システムMonitoring of the illegal killing of elephants (MIKE)の設置を決定。 |
1998年 | CITES常設委員会、象牙取引再開の条件成就を認める。 |
1999年 | 常設委員会の決定に基づき、南部アフリカ3カ国が象牙オークション開催。日本が象牙50トンを輸入。 |
2000年 | COP11(ケニア、ギギリ)開催。ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ、南アフリカ共和国の4国が象牙取引再開提案(南アは附属書Ⅱへの移行も提案)。審議前の関係国間交渉で、南アのゾウは附属書IIへ移行、象牙取引再開提案はすべて撤回。 |
2002年 | COP12(チリ、サンチアゴ)開催。ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ、南アフリカ共和国、ザンビアの5国が象牙取引再開提案(ザンビアは附属書IIへの移行も提案)。ボツワナ、ナミビア、南ア3国の在庫象牙計60トンについて条件付で象牙取引再開決定。他2国の提案は否決。 |
2004年 | CITES常設委員会開催。60トン在庫象牙の取引再開条件がととのったかどうか審議するが、条件は整っていないとの判断。 |
COP12(タイ、バンコク)開催。ナミビアが(60トン在庫と別に)象牙取引再開を提案するが否決。 | |
2005年 | 常設委員会開催。60トン在庫象牙取引再開条件がととのったかどうかはほとんど審議されず。 |
2006年 | 常設委員会開催。60トン在庫象牙取引再開条件がととのったかどうか審議するが、条件は整っていないとの判断。日本は60トン在庫象牙の「取引相手国」に指定される。 |
2007年 | 常設委員会開催。日本が「取引相手国」であるとの決定を維持。中国については否決。 |
CoP14(オランダ、ハーグ)開催。ボツワナ、ナミビアが象牙取引再開提案。コンセンサスにより、常設委員会で認められた60トンに、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエ各国の2007年1月31日までの政府在庫を合わせて、1回限りの輸出を認める。輸出後の9年間、既に附属書Ⅱに掲載されているアフリカゾウ個体群(ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエ)の象牙取引再開は提案してはならないことが決定。 | |
2008年 | 常設委員会開催。中国が「取引相手国」に指定される。 |
ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエが象牙オークション開催。 | |
2009年 | 日本が39トン、中国が62トン(計101トン)を輸入。 |
2010年 | タンザニアが、そのゾウ個体群を附属書IからIIへ移行すること、政府に登録された89,848.74 kg(約90トン)の未加工象牙在庫を1回限り輸出すること、皮などのゾウの製品や生きたゾウを一定の条件の下に輸出することを提案。ザンビアが、そのゾウ個体群を附属書IからIIへ移行すること、政府に登録された21,692.23 kg (約22トン)の未加工象牙在庫を1回限り輸出すること、皮などのゾウの製品や生きたゾウを一定の条件の下に輸出することを提案。結果は、いずれも否決。 |
表に出てくる”CoP”というのは「締約国会議」のことで、ワシントン条約の運営を決める意思決定機関の頂点です(総会と同じこと)。ただ、3年に1度しか開催されないため、意思決定を機動的に行い難い面があります。そこで、締約国会議で大枠を決め、細部は「常設委員会」の決定にまかせたり、締約国会議の議題について常設委員会で事前に情報整理や意見集約をやっておくことが多くなっています。委員会のメンバー国には、アジア、アフリカ、北アメリカなど各地域から域内の締約国数に応じた国が選任されています。
■象牙取引の一部再開を果たした日本と中国。その一方で象牙密輸が激化
2009年5月、39トンの象牙が日本へ正規輸入されました。1990年の象牙取引禁止発効(1989年決定)後では唯一の取引解禁だった、50トン象牙の日本への試験輸入(1999年)以来のことです。今回の39トンは、ワシントン条約における決定に基づき、南部アフリカ4カ国から日本と中国のみに対して、1度限りの例外措置として101トンの象牙が輸出されたものの一部です(残り62トンは中国が輸入済み)。それ以外の象牙の国際取引は、1990年以来、依然として禁止されており、今回輸出を許された南部アフリカ4カ国も、今後9年間は同様の輸出は許されないこととなっています。
このように、原則的に象牙の国際取引が禁止される一方、密猟によって殺されたゾウの象牙が、ブラック・マーケットを通じて大量に世界へ流出しています。2005年と2006年の2年間には、40トン(ゾウ6000頭分。摘発率15%で換算すると約4万頭分)にも相当する象牙が世界各地で押収されました。これだけのゾウが密猟の犠牲になったということです。日本でも、2007年、大阪港において約2.8トンという日本における過去最大の象牙密輸事件が起きたほか、成田空港、東京港、関西空港などへの象牙密輸が相次いでいます。すべての密輸が発覚するわけではないとすると、日本にも相当量の密輸象牙が持ち込まれ、過去に輸入された正規品に混じって相当量の密輸品が流通していると考えられます。
ごく最近、象牙の違法取引が激化しているようです。2008年の10月末から11月にかけて南部アフリカ4カ国でオークションが行われ、2009年の春の輸入となったわけですが、象牙市場がさらにオープンになることへの期待感からか、象牙の違法取引が活発化しているようです。2009年の3月から5月というわずか3ヶ月足らずの間に、11.2トンを超える違法取引された象牙が押収されています(重量が報道されているもののみの合計)。ゾウの数にすれば、約1,600頭分、違法に取引される象牙が現に発覚する確率を15%とすると、1万1千頭ものゾウが殺されたことになります。