活動紹介

政策提言・調査研究

座談会

「具体的な保全をすすめる上で、『生物多様性』をどのようにとらえるべきか」

日時:2010年6月18日
場所:京都大学理学部

参加者:
山極壽一
JTEF理事、京都大学大学院理学研究科・京都大学野生動物研究センター教授(人類進化論、霊長類学、動物学、自然保護学)

羽山伸一
JTEF理事、日本獣医生命科学大学野生動物教育研究機構・機構長(野生動物学、獣医学)

坂元雅行
JTEF事務局長理事、弁護士(自然保護法)

「生物多様性」はどのように普及され、受け止められているのか? 本来はどのようにとらえられるべきなのか?
坂元 今年は生物多様性年であり、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されます。各NGO、NPO団体も生物多様性について何 かやろうという動きがあります。しかし、一般には生物多様性ということをあまり意識せずにいて、生物多様性が生きものの問題であるということを意識してい る人も非常に少ないと長年活動している団体の人たちは口々に言っています。世界の生物多様性の保全や野生生物の保全の成果、実態がどうあるのか。その背景 として、「生物多様性」が世界的にどのように普及され、どのように受け止められているのか。国内ではどういった課題があるのか。10年前と比べてどのよう に変わってきたのかを考えたいと思います。

山極 たとえばアフリカでは生物多様性ということは誰もわかっていない。保全のために生物多様性という言葉を出してもぴんとこない。
生物多様性って種の多様性、遺伝子の多様性、生態系の多様性と教科書ではいわれていますが、種も遺伝子も生態系も見えないものです。それは、どこか間違って 伝わっていて、生きものを守る、生きものについてのものであるということが飛んでしまっているんです。生物はシステムではありませんから、何かの循環システムと考えると間違いです。これまでは、ほとんど数と量で表現して語られてきてしまった。「行動」というのは数でも量でもない。「関係」も数でも量でもない。生物がどのように生きているのか、どのような生きざまをわれわれは保全しようとしているのか、生物多様性についてまったくわかっていない。これは僕は大変な問題だと思っています。そして、それは日本でも同じことが起こっていると思いますよ。
いくら遺伝子が多様だといっても、その動物がどのような姿をし、どのような行動しているかは遺伝子からは直接想像できないし、遺伝子と行動や形態というのはダイレクトに関連しないんですね。種はどうか。もち ろん、われわれはいろいろな種を認識し、それを写真に撮り、認定するわけですが、種の中でもさまざまなバリエーションがあって、そのバリエーションの中で 彼らはさまざまな変化に富んだ暮らしをしている。その暮らしこそ多様性なのです。生物は同じことを繰り返さないし、生物の生きざまは歴史としか表現できない。法則としては理解できない。そういうものをあいまいなまま保全しようとしている。
生態系はどうでしょうか。常に何種類の生物が共存していると いう形で表現されたり、食物連鎖として理解されようとしていますが、実際に問題なのは、その動物や植物の間に何が起こっているのかということです。どのよ うに影響し合っているのか、そのつながりを調べる、知ることです。これは非常に難しいことですが、それを知ろうとする道を閉ざしてしまったら何もならない。それが、システムとしてしか見ないことによってあまり重視されなくなってしまった、生きものそのものを見なくなってしまったというのは非常に問題だと思っていますね。

坂元 羽山先生は、今のお話を受けて生物多様性についてどのように考えておられますか。

羽山 生物多様性というのは、今までよりはメディアでも取り上げられるようになり、認知されてきました。
実は、生物多様性を「こういうようにとらえさせよう」という仕掛けた側の戦略そのものが誤っていたのではないかと思っています。その点、メディアに載った段階で考え直すべきだった。
そもそも、ここでいう多様性という言葉はDiversityであって、Varietyではない。それがバラエティ、バリエーション、日本語では「多様」とい う言葉に置き換えられてしまい、山極先生のおっしゃったようなそれぞれの階層(注:種、遺伝子、生態系)バラエティ、バリエーションをどう保全していくかということに置き換えられてしまった。
そもそもの生物の関係性とか、diverseですから生物が進化してどういう特徴にあるのかという意味で使われなくなってしまったのが、今の誤った認識につながっていると思います。
バラエティ、バリエーションという誤解、それはわかりやすさという、生物多様性普及のための戦略だったんですよ。生物多様性保全を実際に具体化していく過程 でわかりやすさを求めたり、実際の対策を立てる中で、今のような戦略にならざるを得なかった。それが結局は、本当の生物多様性に対する理解を阻害したり、 成果主義につながったりした。それをもう一度考え直す必要があります。Diversityを保全するとはどういうことかと考えなおさなければ、ターゲットも変わってきてしまいます。

山極 保全は理解するのが難しいです。初級編としては、ゴリラやトラをもってくるのは正しいでしょうね。その次の段階として生物の関係性が出てくる。その際、いろんなエピソードを通じて伝えていった方がいい。
たとえば、ゴリラに関して言えば1996年、1998年の2回の内戦で、ゾウが450頭から5頭にゴリラが260頭から130頭へと半減したんです。そして 何が起こったかというと、蔓性の植物がいっせいに繁茂し始めたんです。それは、今までゾウが食べていたり、ゴリラが採食する際に蔓をはずしてくれていたお かげで森林を覆うことはなかった。それが無くなったことで蔓性植物が木を覆い、木を枯らし始めました。森林の均一化が起こって、いずれは森林が無くなって しまう。今年、1月に行ったらその蔓がいっせいに開花したんです。花が咲くとすごいです。あらゆるところが蔓に覆われているのがわかる。今まではゾウが蔓 を食べることで木々が健康に維持されていた可能性が高いんです。その蔓はゾウやゴリラや大型哺乳類によって増えることを抑制されていたわけです。そういう 動物と植物との関係によってある景観、ある森林が維持されてきたという歴史があるのです。

坂元 国会議員に生物多様性を説明しに行った ら、「意味がわからない」と言うんですね。この間も民主党の研究会で話してきましたが、衆議院の環境委員会の議長が最後に確認して、「結局、生物多様性と保全がつながらないのは、言葉がわからないからだ」と。そして、「あなたたちにやってほしいのは、言葉を変えてくれ」と言うんですよ。他の議員は「地球温暖化はわかるが、生物多様性の保全はわからない」と。地球温暖化はなんとなくこういうことが起きて、脅威になるなと言うことが実感しやすいんだけど、生物多様性の保全はそれで何が困るのかわからないと。

山極 そういうことであれば、逆手にとってDiversityの逆をつく。Simpleなことがいかに脆弱であるかということをむしろ強調したほうがいいのかもしれない。生物は同じような時間を生きているのではなくて、いろんな時間を生きて いるのだということを考えるべきですね。生物はまったく同じように生きているように見えるけれど、それは間違いであると。たとえば、単一な草原で何が起 こってしまうのかとか。多様であれば、いろんな良さがあるわけです。Diversityというのは、そこにどういう良さやたくましさが含まれているのかと いうのかは、あまり語られていません。逆の立場から眺めてみるというのはいいかもしれません。日本でも起こっていることがいっぱいあるじゃないですか。
農業の分野ではよく言われるのですが、自然の生息地で改変してしまって単一の景観になってしまったときに、何がどうなるのかという研究の例は多いと思います。そこに生息している生物にどういう影響が出たか、どのように変化したかという研究はわりとあると思います。

羽山 たとえば天然林を人工林に変えた後、その林齢などに伴う植物相、動物相の研究というのはありますね。

山極 そうですね。生物多様性を、逆にモノカルチャーには問題があるという訴え方をする理由ですが、多様なDiversityの価値を調べるのは大変だから です。時間もかかるし、待っていてはその価値がわかる前になくなってしまうかもしれない。その価値というのは相対的なものだから、こういう景観になった時 にはこういう事態が起こる、という答えを出したほうがいいのではないか。直接的には、価値をアピールするよりも警告を発するほうが効果的ではないかと思い ます。それは、僕がアフリカで痛感したことです。たとえば国立公園があって、そこを農地にしようとする人たちもいれば、保全しようとする人たちもいる。農 地にしたほうが生産性も上がるし、何が悪いのかと。Diversityの良さを説いたところで通じない。逆に自然の多様性がまったく無くなってしまったと きに何が起こるのかを警告したほうがいいと思うんですね。
つまり、危機を示すことです。生物多様性は概念でしょう。温暖化は危機だ、悪いことだと理解されている。生物多様性ってニュートラルな概念だから語られない。しかも、生物多様性は人間がつくってきたわけじゃない。壊してもその結果が見えないんですよ。

坂元 違う側面の問題として、多様性の価値がアピールされるときに、一番強調されているのは、多様性があることで人間はどういった福利を受けられるかという ことだと思うんですね。たぶん、生物多様性の問題は、政策決定者にゆだねられた時点でそうなってしまったと思うのですが、それだからこそわかりやすくしな ければならないし、歴史を経て多様性が生まれてきたのかもしれないけれど、重要なのは結果的に今どういう多彩さがあって、それがどう活用できるのかという ところに焦点が集まっていると思うんですね。それが生きものそのものから視点が外れていっていることと関係しているかもしれません。

山極 そのときに使われる「生態系サービス」のいいところは、エコロジーとエコノミーの論理を持ち込んで、評価基準を入れて、将来の見本として収支を出してい くということでしょう。保全を経済的なストラテジーとして将来計画として組み入れられるのは生態系サービスのいいところだとは思います。でも、結局は統計 に同化してしまうんですね。人々は質的な評価には納得しない。森林伐採をして、作物を収穫して実質の利益のある方へ傾いてしまいかねない。
だから、さきほど羽山さんがおっしゃったように、話の持っていき方というのが、そもそも人間は生物多様性の中で進化したのであり、人間が生物多様性をつくった のではなくて、生物が多様な中で人間が生まれたのだということを自覚として人間が持つべきだという考えを前面に出したほうがいいんじゃないかと思います。 人間には生物多様性を牛耳る権利はない。
若い世代の生物多様性、保全に対する認識はどうなっているのか?
山極 高校大学連携といって、高校生に授業したりしていますが、「経験」させるということがなくなってきている。時間がかかって面倒くさいし、やっている ことが前時代的で遅れていると思われるし、わかりにくいというのが問題なんですが、実はそれが重要なんです。たとえば生物そのものが生きている姿を見る。 海辺に行って海岸の生き物を観察する、山を歩いて鳥を観察する、いろんな動物に出会うというのは自分とは違う生き物を理解する上で非常に重要です。時間の 規制もかかるし、疲れるからやめとこうと言われてしまうんですが、そういうことを率先してやっていかないといけないと思うんですね。今、生物学は非常に人気があります。何が人気があるかというと、ゲノムや遺伝子なんですね。新しい技術を応用して今まで見えなかったものが見えるし、新しいことがわかる。そう いう技術のほうに興味や関心がいってしまっている。でもそれは、生命の不思議の1側面なんです。生身の生物を見ていない。生身の生物に興味がない。それでは生物はわからない。

坂元 羽山先生は傾向をごらんになってどうですか?

羽山 うちは動物専門の大学なんで、関心のある人しかそもそも入ってきませんけど、女性が増えてきて、男性がだらしなくなってきてますねえ。ただ、野生動物といっても多くは動物園の動物に興味があるんですよ。

坂元 2年前に内閣府の環境問題について行われた世論調査があって、生物多様性について聞いているんです。生物多様性の言葉の認知度について質問があり、言 葉の意味を知っている人が12.8%で、意味は知らないが言葉を聞いたことがある人は23.6%、聞いたことがない61.5%なんです。実際、言葉の意味 を知っていると回答した人でも、どれだけわかっているかはわかりません。私がびっくりしたのは、聞いたことがないという人が61.5%の割合は30歳代で 高いんです。生物多様性条約ができた直後ぐらいに中学生、高校生、大学生ぐらいの世代なんです。その時は世の中でも話題になったし、関心も持ち始めた層だ と思うんですね。10年ぐらい前にNGO活動をしていて熱心に関心をもってやって来たのは、当時の20代だったんです。その世代が知らない割合が一番高いというのはショックですね。

山極 それは日本人の特徴かもしれないんだけど、概念に弱いんだよね。ストーリーを求めちゃう。生物多様性ってストーリーがないでしょう。生物多様性って概念だから。それが理解を阻んでいるんじゃないかな。
生物多様性条約第10回締約国会議(CoP10)で議論される「2010年目標」の達成状況と「ポスト2010年目標」。日本の課題は?
羽山 この間、生物多様性条約のメカニズムとしてGlobal Biodiversity Outlookの第三弾(GBO3)が出て、今の世界の生物多様性はどういう状況かということが報告されましたが、かなり惨憺たるものでした。みんなそうだろうとは思っていたでしょうけれど、実際にそういう結果が出ました。僕が危惧しているのは、その中でいくつか評価が高いのは、人間が作り出そうとしている多様性なんですね。それを信用して進めていいのかというのはクエスチョン・マークを付けたいところです。養殖なんかがそうなんですけど。

坂元 そうなんですね。個別目標の達成状況というところは、目標の決定のしかた自体が人間にとっての利益というところで政策的に設定されているので、おっ しゃる通りだと思いますね。その目標達成のほうではなくて指標がいくつか設定されていて、その指標についてどういう経過があるかをみると、ほとんどがマイナスとなっているんです。特定の生物の生息地の規模も完全に減少だし、特定の種の個体数もほとんどの種が減少している。絶滅危惧種の状況の変化については、ほとんどの種について絶滅の危機が増大、生態系の連続性と分断化、コリドーや連続性の重要性は認識されているにもかかわらず、ますます分断化が進行し ている。指標を見ると、もともとの自然の生息地について言えば、全部だめという結果です。
GBO3の日本版「生物多様性総合評価報告書」を環境省が出しています。

羽山 2020年までに減少をストップしていく、50年、100年かけてどんどん回復するようなことだったと思いますよ。

坂元 そうですね。2002年の生物多様性条約の会議で「2010年目標」が合意され、2010年までに生物多様性の喪失を顕著に減少させるとされ、 2010年に名古屋で評価されます。その前提として先程のGBO3だとかその日本版などが出され、結果として達成できませんでしたと。そして「ポスト 2010年目標」を名古屋のCoP10でどうしようかということになっているんですが、その案として、日本政府としては、2020年と2050年、短期と 中期で目標を設定しましょうということを言っています。羽山先生が指摘されたものは今度の名古屋の会議で考えられる素案だと思います。

山極 日本という国は欧米の現状や認識とはちょっと違うんですね。欧米は人々が産業革命の時代に伐採して植林してしまった森を管理している。都市も非常にう まく作られていて、都市と森林や牧場、農地がはっきり区分されている。日本というのは、いまだに森林が65%あります。自然林が20%ぐらい。農地は 15%くらいしかないでしょ。その比率やでき方、森林のあり方がヨーロッパとはぜんぜん違うわけ。ヨーロッパでは家畜動物を飼い、食べさせる餌を栽培するという牧場的な大規模なもの。日本の農業は小規模農業だし、山地の分散した小さな田んぼや畑でやってきた農業です。これからどういうDiversityを守るかというところで言えば、日本は実はDiversityの高い地形を保ってきたわけです。それはいろいろな要因がありますが、基本的には人々が小規模 な農業をやってきた、しかも山が迫ってきていてその形を変えられなかったので、いろんな野生の植物が多い。それを利用しながらやってきた。だから、日本に は絶滅した動物が少ない。もちろん、ニホンオオカミやカワウソなどもありますが、ヨーロッパに比べれば非常に少ない。日本は歴史的に、偶然とはいえ残して きた多様性を人々の暮らしにどう取り込むかというのが非常に重要でした。今、人間が外から自然を管理しようとしているが、人間は自然の中で生きてきたということを日本人は自覚すべきで、生活の中に多様性を取り入れるということをしなければいけないですね。管理はできないんです。ヨーロッパのような管理はで きない。

坂元 羽山先生はいかがですか。

羽山 歴史はまわりますけどね、なんせ日本は気候が違う。年間降雨量が1000ミリを超える。欧米は600ミリも降らないから、牧草地は放っておけば砂漠になるし、伐採した森は基本的に草原にしかならない。森を取り戻すことはできない。逆に日本は自然の回復力をどう生産体系に組み込むかというのがあるわけです。長い目で見たときに里山なんて崩壊してますね。元の植生に戻っていっている。それも悪いことではない。
今度は直接的に都市と森との関係ですが、手つかずの自然があって、そもそもの生態系を人間が破壊した後にどのような 自然が再構築されるかはまだわかっていない。草原化が始まっていて、それでいいんだという人もいるが、そういって考えたときにわれわれが取り戻そうとしている自然とは何か、どのような自然との関わりをもつのか、明確な目標を持たないと、人間が管理などしていくべきかどかが決められない。時間的なスケールが 問題です。人間がイメージできる時間的スケールは違いますし、時間的スケールの設定で価値の置き方も変わります。
そこまで大きく変わったのはわずか半世紀の出来事で、あまりにもスピードが速かった。たとえば、僕はサルの研究者だから、ニホンザルの話をすると、 1960年代以降の再開発、植林、産業構造の変化の中で、かつて絶滅のおそれがあったサルが里に定着して、住宅街にまで住み着くようになった。その結果、 このところ毎年1万頭以上のサルが殺されています。これらの原因は産業構造と人々の暮らしが変わったことによってということがわかっていながら、野生動物 だけが悪者にされている。これは、県や市町村が一体となって何か変えなければいけない。都市に一元化されて限界村落が増えている。とても田畑もできない。 今、銃を持つ免許を持つ人は20年前から半減してしまった。そうすると「里山」の領域で維持されてきたものが、どんどん原生に戻るうちに、人々はいなく なって都市へと集中してしまう。結局、中間域でもともと人との付き合いによって個体数が抑えられていた動物を増やしてしまうことになる。それを今度は環境 省、農林水産省はなんとかしてくれという。最後に残るのは、「森と山」と「都会に住む人」で、生きもののことを顧みない人が住む日本ということになってしまう。やっぱり環境省は自然を管理するだけではなくて、他の人と手を組んで、人々の暮らしというものも並行して指針を持って変えていかなくてはいけない。 その方向からの動きが影響力を持たないと、この事態は解決しません。
環境省が事務局となって政府でとりまとめた「生物多様性国家戦略」やさきほど の「生物多様性総合評価報告書」で環境省が言っている三つの危機があって、第一の危機は開発で、第2の危機は人々と野生生物と植物の関係が変わってしまって、野生生物の害が増えたりということ、第3は外来種ですね。それは、全部複合的な問題で、人が一元的に外から管理するのではなく、自分たちの暮らしの中 で生きものに配慮して関係を結んでいくことによって、結果的に野生生物による害を許容できる状態にしていくというのがDiversityに関係していくことです。

坂元 日本で羽山先生がおっしゃったような状況に合わせて、人は、生活の中で内から調整していって、人々が多様性を実感しながら生きもの生活が維持されていくと。

羽山 キノコを採りに行ったり、山菜や竹を切りに行くという形で里山に人が入る。日本ではそこで野生生物との出会いがある。原生林からいろんな動植物が侵入 してくるというのを人間が管理するということではない。しかし、今となってはそれと同じ形を復元するのは不可能だろうと。それは、構造がまったく変わって しまったから。昔は人々が生活のために入って行ったけど今は生活のためには入って行きません。

坂元 変わってしまった人々の生活に合った調整行動は、どのようなものが考えられますか?

山極 それは、新たな文化を創り出すようなものですね。やったことがない。前にそういうことを新聞にも書いたんだけれど、厚生省にも「2重生活のすすめ」と いうのがあって、賛意を伝えてきました。都市の生活のほうが価値が高いとみんな思っているけれど、1年に数回、田舎に行って、伝統的な服を着てその土地に 伝わる伝統的な食事をしようじゃないかと。都市と田舎と両方に家を持ちましょうと。交通網が発達しているから、週末だけ帰るとか、将来的に田舎に住んで人口を分散させましょうというんですね。そういう伝統的な暮らしの価値づけをして、増やしていくということをした方がいいでしょうね。実際、そういうことは 他の国でもやっています。私が例に出したのがケニアのマサイ族です。マサイの人たちは牛フンで作った伝統的な家に住みながら、ビジネスは都会でやるという 生活をダブルスタンダードとして持っている。そういうことは日本でもできるんじゃないでしょうか。
生物多様性保全の実践としてのフラッグシップ種の保全
坂元 最近、フラッグシップとなっている種について国際的に活発な議論があります。JTEFでは、トラとゾウに関わっており、情報がたくさん入ってくると いう面もありますが、今年は寅年ということもあり、トラについて国際機関やNGOがいろんな取り組みをしています。「グローバル・タイガー・イニシアティブ」という、もともと世界銀行とスミソニアンが始めて、トラの生息国を巻き込んで、あとは大手のWWFなどを入れてトラの保全をやっていこうという新しい動きがあります。2020年にはトラに絶滅のおそれがないと言われるまでにしていこうというものです。今年の9月にはロシアでタイガー・サミットが開かれることが予定されています。
また、昨年は国際ゴリラ年でした。山極先生から国際ゴリラ年が設けられた経緯と経過をお話しいただけたらと思います。

山極 国際ゴリラ年は、国境を越えて生息域を持つ動物についてのボン国際条約によって合意されました。日本はこの条約に加盟していないのであまり話題になりませんでしたが、いち早く世界動物園水族館会議が支持を表明し、ゴリラ年を盛り上げましょうということで、昨年1年、もっぱら動物園を中心にさまざまなイベントが展開されました。イギリスでもドイツでもアメリカでもイベントが開催されましたし、日本でも上野動物園、千葉市動物園、京都市動物園、王子動物園 などで行われました。
この国際ゴリラ年の趣旨は、それぞれの国の出来事や国内法によって、国の中でだけ考えていくのではなくて、国際的な認知を拡げ、その状況というのを国際レベルで調べ、知り、そして保護を考えていきましょうということです。成果としては国際的な輪が広がるということではあったの だけれど、なかなか他の国の事情には口を出せない。ゴリラはアフリカにしか棲んでいませんから、国内的にも国際的にも非常に厳しい状況にあってなかなか抜 本的な対策を講じられない。実質的な効果が上がってきたとは言えないのが現状です。ただ、成果としてはゴリラに対する認識というのがかなり新たになったと いう点があると思います。
私は昔から言っているのですが、動物園と野生のゴリラを考える時、動物園の動物は家畜と同じではない。野生の動物として きちんと生息地を持っており、動物園で野生生物を飼うということは、野生生物の本来の生息地における状況やその姿を考えるという責務があると思うんです ね。そういう意味で、国際ゴリラ年では動物園で野生のゴリラの姿を紹介し、野生のゴリラに対する認識を新たにする一助になったと思います。それから、野生 のゴリラの生息地に何が起こっているのか。人間が入り込んできて食料にされてしまったり、食料にされないまでも地下資源採掘のためにゴリラの生息域が脅か されています。コルタンという携帯電話などに使われているレアメタルがその好例です。われわれがそういった機器の恩恵にあずかればあずかるほど、コルタン の値段を釣り上げ、それによって野生動物の生存を脅かすという負の連鎖があるということを知ってもらういい機会にもなりました。

坂元 今、アフリカは経済発展など貧困解決など非常に注目が集まっています。今年のワールドカップも南アフリカ共和国で開催され、アフリカでのサッカーの背景が報道されるなどしています。アフリカの社会的経済的な現実とゴリラの保全にどのような影響が及んでいますか?

山極 今、アフリカには中国の企業が多く進出してきています。中国の企業が狙っているのは木材、地下資源、畑の権益です。遺伝子組み換えのトウモロコシがバ イオ燃料として非常に重要になってきたせいで、農地の価値が相当上がってきた。中国企業に先を越されたという構図がありますが、国際的な注目が潜在的な価 値の高いアフリカに集まっています。政治の舞台でアフリカの収入となる農地資源、地下資源について現地の人が振り回されている。しかも、アフリカはまだ内 戦地帯が多いですし、ゴリラの生息地というのは政情が不安定な場所でもあります。だから不法な取引があっても事件になりにくいし、話題に上りにくい。しか も、そういった形で人間と野生動物の接触が増えることになり、エボラ出血熱などへの感染なども起こりました。本来、ゴリラは希少な生物なのですが、現地の 貧しい人と野生生物というのは、政治の急激な動きに揺さぶられて、隅に追いやられているというのが現状ですね。ゾウもかなり減りましたね。アフリカ全体で すが、80年代に2分の1に、データ取られていませんが、70年代から計算すると、もっと減っているでしょう。70年代の密猟はひどかった。ゾウもゴリラ と並んで希少な生きものです。サバンナゾウはまだ数を数えられていますが、森林で生息数の把握が難しいマルミミゾウはもっとひどい状況にあると思います。

坂元 ゾウについてはどのぐらい密猟されているのか、推定するのは非常に難しいんですが、アメリカの研究者がゾウのフンや牙からDNAを解析し、生息地のだ いたいのエリアを特定して、世界で押収される象牙の量からどれくらいのゾウが殺されたかを推定しているんです。その推定によると2006年に3万8000 頭のゾウが殺されたと、それだけの象牙が日本に取引されていたという結果が出ています。確かにここのところ、象牙の違法取引が急増しています。2006年 の8月に大阪で象牙が2.8トン見つかっています。
中国企業が進出しているということでしたが、象牙もまさにそうで、まず中国系の人たちが向こうに工場をたくさん作り、そこで加工したものが流れていくという仕組みができている。裏付けははっきりしませんが、現地からの報道では政府在庫の象牙の横流しを受けようとして、中華系の商人が検挙されると言ったニュースが絶えないですね。
日本ではどうでしょうか。

羽山 最新版のレッドリストでは、在来種に対する絶滅危惧種の割合では日本がトップ5に入るという現状です。

山極 羽山先生がおっしゃったように、日本で絶滅した動物は少ないけれども、絶滅の恐れが生じているものは多いですよね。

羽山 広域に分布する種が少ないということもありますね。限られた範囲にもともといたものが追いつめられて少なくなっている。

山極 環境が安定しているから絶滅種がすくないのでしょうか。

羽山 地形が急峻だからですよ。変えようがないから。日本では人間の手にかからないところに野生動物がいる。ただ現在の日本では外来種の問題が結構大きくて、毛皮の為に入れたり増やしたり、在来種に代わって増えているのが問題です。

坂元 CoP10で採択される予定の「ポスト2010年目標」の国内実施という観点からも、日本では生物多様性保全のためにどのような戦略が必要でしょうか。

羽山 現在の「種の保存法」のように「保存」などと言って動物園にいるならそれでいいというような誤解を与える法律ではなく、「絶滅防止法」とかね。こういうものが価値がありますよという打ち出し方だとあまり皆ふりかえらなくて、これを防がないと大変なことになりますよと言わないと伝わらない。

山極 生物多様性というのはあくまで概念でしかない。これまでの自然保護の歴史で概念をターゲットにしたことってないんです。ある自然が破壊されるのを防ごう、絶滅を防ごうとかというのはあっても、概念を守ろうという経験がないんです。倫理とかそういうのは別かもしれないけど。

坂元 さきほどのフラッグシップ種の話ですが、羽山先生からもお話があったように、まず絶滅を防ぐということ、それから山極先生からありましたが、生きものどうしの関係を考えていく。日本でもまずフラッグシップ種に狙いを定めてそこからスタートという戦略でしょうか。

山極 日本ではフラッグシップとして使える動物がいるかな。

羽山 本当はオオカミやカワウソだったんでしょうね。ローカルだとヤマネコでしょうか。トキがなぜ注目されているかというと、わかりやすいからです。地域レベルで見ていくしかないですね。生物多様性とひとくくりにしないで、動物種の名前でしていかないと。

坂元 話はつきないのですが、時間が迫ってきてしまいましたので今回はここまでにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
(終)

現地パートナーリンク集リンクのお願いお問い合わせ個人情報保護方針